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ニイナさんの海外転職レポ

お金、コネ、専門技術、語学力、彼氏、全て無し!の33歳独身女性が体当たりで始めた海外転職活動と@ラテンアメリカのリアルなレポート。語学留学と就職を決めるまでの第一章、メキシコで就職して驚きの連続の第二章。目指した業界に転職しての第三章です。

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手続き編・・・じゃなかった、福岡愛。

改めて福岡はいいよ!と叫びたいニイナです。
先日、関東の方と初めて電話でお話しした際に「北九州ってどこですか?九州ですよね?」とお尋ねを頂きまして。
同じ事を10年以上も前に、バイクを買って初めての遠出で神奈川県の箱根から海っぺりを回ってた時に通りすがりのおっちゃんに言われたなぁ、と思い出しました。
(福岡県でも一番本州寄りの場所にありまして、新幹線の「小倉」って駅や昔の「八幡製鉄所」が有名です!)

今回の中米に限らず、過去に海外で出身を尋ねられて福岡と答えて、知っていた外国人は船も飛行機も直行便がわんさかある韓国を除けば、限りなく0に近いです。

ベリーズで知り合った佐賀県(福岡のお隣り県)出身の男性は、佐賀出身と言っても通じないから福岡出身と名乗っていましたが、世界ではFUKUOKAだって通じません。
トルコの船乗りの人には「HAKATA」と言えば通じたりしましたが、日本と言えばTOKYO、ちょっと知ってる人でアメリカ人はHIROSHIMA、ヨーロッパ人はHOKKAIDO、くらいですかね。
グアテマラにいたってはTOKYOも知らない事が7割だったし、日本サブカル大好きっ子でHARAJUKUは知っててもKYOTOは知らない。

今回も尋ねられたら以下をセットで答えていました。
・日本の南の島にあるんだよ(日本は島がだいたい4つあるの)
・日本第4の都市で
・人口は4~500万人かなぁ
・気候はココ(その時居た所)に比べて寒いor暑い
えぇ、全部がざっくりで日本人相手にはこの回答はしませんが、私のスペ語力と英語力ではこれが精一杯です。
しかも、人口にいたっては私が出発直前まで住んでいた「福岡市」ではなく、出身の「北九州市」も含めた「福岡県」のものという盛った数字な上に、数の単位の言い方がミリオン?ビリオン?分からないので、口頭ではなく書いて説明です(笑)


昨日はもうすぐ嫁に行く妹といつもの道をドライブ


でも実際によく尋ねられます。
ルームメイトの様な近い存在からタクシーの運転手まで、多くの外国人との話題の一つに出身国だけでなく、地元っていうのがあります。
それだけ欧米では知らない人が気軽に話す文化がある事に感心すると同時に、国という大きな単位よりもその人自身を形作った背景を理解しようとするのが一般的なんだと思いました。
まぁ、海外では◯◯出身の△△人、とかの方が当たり前だから、国なんて単位でその人を計る方が難しいだろうし。

日本人相手や、外国人からももうちょっと踏み込んだ質問の際には
・海も山もあって食べ物がとにかくおいしいよ
・空港も近いし、大概の場所が便利だから仕事にも住むにも良いよ
・出身の芸能人が多くて、個性的なおしゃれさんが多いよ
・懐が深いザ・九州男児とそれを見守る情が深い女子が多いよ
・(祭り好きが多くて、ちょっと修羅の街なんかもあるクレイジーな所だよ)
・(水質浄化やリサイクルなんかのエコ技術なんかが進んだ工場萌えにはたまらんスポット満載だよ)

などなどのキャンペーンを繰り広げて話します。
(下二つはマニア寄り情報/笑)




さて、勝手に福岡宣伝部長としては、次にメキシコに行く時にはお土産は何にしよう、とか思いつつ。(日本人相手には手堅いめんべいがいいかなぁ。。。)

あ、しまった。
今回はこないだ進めた海外転出手続き系の話を書こうと思ってたけど、前置きが長くなりましたので、また次回に。。。

ちなみに。今一番私が恐れている「スペ語喋れん病」対策ですが、やはり一人で机上の勉強(文法)を進められないダメな子な私。。。
だって私、自分に甘いもん!
今日からはお金を使って、対面とSkypeでスピーキングの練習をする予約を埋める事にしました。
お金がかかっていれば、ね、やりますけん。。。



これまた定番ドライブ地、海の中道にて。ドライブとかせずに勉強しろよって話ですが。。。

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なんてこったいメキシコシティ

この4ヶ月で培ったスペ語についてのほんの少しの自信(培ったのは語学力そのものじゃなくて自信だけ)が粉々になったニイナです。
それくらいメキシコで私の耳は彼らの言葉を聞き取れませんでした。。。

バスは11日の午前中にメキシコシティに4つあるうちの通称TAPOという東ターミナルに到着しました。
約3年ぶりのメキシコシティです。(前回は純粋に友達と旅行)
ターミナルでこれまた噂に聞いていた日本人宿「サンフェルナンド館」に地球の歩き方2011年版を見て電話して、今日の空き室がある事と大体のタクシーの値段を確認しました。

噂に聞いていたというのは、長期荷物預かりをしてくれる事と、その昔ボクサーの亀田兄弟の誰かがメキシコ修行中に滞在していたらしい事と(笑)、やっぱり旅の情報が集まるし何より楽しい、という事です。
3年前にシティに滞在した時はせっかく物価の安いメキシコだから(普段は泊まらない様な)世界ブランドの高級ホテルに泊まろう!と最高級ランクのホテルに泊まったのですが、今回は移動の一泊だし一人ぼっちですからねぇ。

確認したタクシー代は大体120〜130ペソ、高くて150ペソ(約1350円)くらいに収まるというものでしたが、ターミナルを出てからのタクシーの客引きはみんな200などボってくるので、無視してタクシー乗り場へ。
リブロという街中を流しているタクシーは昔から犯罪に会う危険性や値段をボってくる等で悪名高かったのですが(前回の旅行ではなるべく乗らない様に頑張ったくらい)、タクシー乗り場で値段を確認したらビッグなスーツケース(名前:ドンガバチョ)もあるのに140ペソで行ってくれると言うので、乗り込みました。

運転手のおじさん、こっちがスペ語を話すと分かるとひたすら喋り倒してきます。
乗って5分後にはプロポーズです。
行こうとした道が工事中でもノーアイプロブレマ(問題無し)。
かなりの遠回りをしながら『もうちょっと街中を見るデートを続けよう!』
普通は金額が決まっている場合はさっさと降ろして次の客を探したいかと思うのですが。
・・・やっぱここ、メキシコやー(笑)

しかし、何言ってるかさっぱり聞き取れない。
メキシコはグアテマラに比べて口調が早いと聞いていたけどここまで?
しかもいくらここ3週間日本人といっしょに旅していたとは言え、お家の人相手や街でもスペ語喋っていたのにここまでわからないか?
と慎重によく耳を澄ましてみると、単語自体がさっぱり知らないものなんです。

アンティグアで一緒に山登りした隊長(メキシコに留学中の女子大生)が「スラングとか言われたらさっぱり(わからない)ですね」と言っていましたが、その通り。
ほぼほぼスラングで喋っているし、世界中から来る外国人はスペ語を学びにきていると分かっているグアテマラの人みたいに、こっちがスペ語わからないだろうなと察してゆっくり優しく話してくれる事は無さ気です。
予想はしていたけどここまでとは。。。
来月からはそんなメキシコで働く私は、日本に帰ってメキシコ人相手の練習を重ねる事を心に誓ったのでした。

到着したサンフェルナンド館は、今日は宿泊客が少ないらしくひっそりとしていました。
人が居ないなら、とドミも一瞬考えましたがスーツケースを広げるので個室(バス・シャワーは共同:204ペソ)にしました。
これまた噂に聞いていましたが、サンフェルナンド館にはルチャ・リブレ(メキシコプロレス)が盛んなメキシコに修行に来ているレスラーさんやボクサーさんがよく滞在しているらしい。
やっぱりレスラーさんだった管理人さんが、激重のドンガバチョをひょいっと抱えてお部屋に運んでくれました。ありがたや。
お部屋は一人でも広いダブルベッドだし、ソファーもあるし、荷物のお片づけがしやすく快適です。

その後、特に行きたい所も無いですがお腹が空いたのでお散歩がてら外に出たのですが。
ホテルの前の道から大きな道に出る所にはあからさまにプロのお姉さん(売春婦)がチラホラ客引き中でいらっしゃいます。
ふむ。警察は何も言わないのかな〜。やっぱり賄賂もらってグルなのかな〜。と思いつつ。

近所をふらふらしていると、公園ではたくさんの出店が。
タコスなどはグアテマラでも小さいのが3つで10ケツ(約150円)などであったのですが、こっちはもっとボリューミーなのが1つ6ペソ(約54円)だったり、お好み焼きみたいなタコス?が10ペソくらいで売っていたりするので、物価がグアテマラより高いと思っていたメキシコの方が買い食い天国やん!

屋台のおじちゃんのスラングは聞き取れないものの私を熱烈歓迎してくれているのは明らかで超大盛りにしてくれるし、サルサはグアテマラより辛いし、いやもう大満足です。
まぁ、グアテマラと違ってお酒を外で飲めないのでビールと一緒に食べれない点だけが残念ですが。

夜も大きな通り沿いにタコス屋台がたくさん並んでいるので、10時前くらいだったかな?ホテルから近いところまでぴゅっと行ってぺろりと食べちゃいました。
ついでにコンビニでメキシコビールを買って。
あまり覚えていませんが、テカテの500mlで8ペソ位だった様な。。。安っ!
そしてやっぱりプロのお姉さん方は商売中です。

お散歩。

革命記念公園。いつの間にやらエレベーター付きになっている模様。周囲は幸せな日曜の午後を過ごす人でいっぱい。


アンティグアで毎日通っていたのと同じ系列のスーパー。(多分)


中米はガンメタのつや消し車が多い。。。味はあるけど単にボロくも見えて微妙。。。

夜のパッキングは早々に諦め、せっかくの広いベッドなのでゆっくり寝て翌朝、パッキングを開始。
よく考えたらまた一ヶ月後にはメキシコに来て生活の拠点を移動する事になるので、4ヶ月前に持ってきていた夏服や最後の方はあまり使わなかった英和辞書など、一度日本に持って帰る必要の無いものを全てスーツケースに詰め込み、お宿に預けました。(1週23ペソくらいだったかな)
3月にメキシコシティでセンセイと再会の約束をしているので、その時に取りにきます。
お宿では朝食にパンをリビングに置いてくれているのですが、そのパンが美味しい!
外はかっちり香ばしく、中はふわっと。
グアテマラでもパンはよく食べていたのですが、バゲット的なこのタイプはあまり無かったのでこれまたぺろり。てへへ。

荷物が減ったので地下鉄で空港まで行こうと外に出ましたが、路線調べたりチケット買ったりしていると時間無いしなー、残った荷物も重いし、という訳で今度は流しのリブロをつかまえました。
私、3年前はあれだけ危機感を持って行動していたのに、いつの間にやらラテンアメリカに慣れちゃったんですかね。
やっぱり運転手さんが何言ってるか分からないのでちぐはぐな会話をしながら、100ペソで空港までピュイっと行ってもらいました。

JALと同じワンワールド系のUSエアウェイズ、この日のシャーロット行きの便はほぼ満席。
(でも隣は空席。今回行きもこんなだった様な。トータルで移動運は持ってましたね。)
搭乗手続きも自動発券機に辿り着くまでに長蛇の列でした。
この空港のセキュリティチェックは結構甘い印象(液体持ってても行けそうな雰囲気)。
免税店で買う適当なお土産も無かったので、レストランでアジアンな料理をおつまみにして最後のコロナビールを飲み(朝にパン食べたのにね)搭乗しました。

乗り継ぎ地のシャーロットでは、3年半前にニューヨークに行った時から毎回そうですが、アメリカ入国に散々時間がかかって乗り換えに焦るという、いつものパターンで。
入国の長い列に様々な国籍の人が並んでいて、彼らの中に友人と似ている背格好の人が居たりすると、ちょっと切なくなりました。
山崎まさよしの歌ではないですが「こんなとこにいるはずもないのに」ってわかっているんですけどね。

そうそう、旅の終盤で何ですが。
上記の免税店でもそうでしたが、お土産が。。。無い。
いや、荷物の関係ももちろんあります。増やせないもん。
愛着や思い出が詰まっているのに壊れたものなどたくさん捨ててきましたし、まだ使えるものはセンセイに押し付けたりして断捨離をしてきましたが、それでもモノは増えているので。
 以前のメキシコ旅行で買ったサンダルも断捨離。


けどそもそもお土産で買うべきものが無くて困ってます。
グアテマラではあまりにお土産に適したものが売ってなくてですね。
いや、グアテマラの名誉の為に言っておきますと民芸品とか近隣国の分まで作ってる程に溢れているし、Tシャツとかもあるんですよ?

ただ毎度の旅行でそうなんですが、私がお土産選びが苦手で、いざ選ぶぞと思って選ぶ時間も私にとっては苦痛なんです。
これ、自分だったらもらっても使うか?使わんし。いやいや、これはあそこにしか無いものだし、、、でもなぁ、、これあの人に似合いそう!でもあの人の部屋に合うかなぁ、、、などとループで考えてしまうんです。
だったら消える食べ物がいいのですが、それもやっぱり自分が食べててその旅を思い出せる様なものでなおかつ美味しいものが良いと思うし。。。

元々、自分のものについてもなるべくモノを持ちたくないタイプなので、惚れ込んで買う意外は自分でも嫌になるくらい慎重過ぎな、(そして対価に見合った機能があるか考え込むケチな)買い物下手です。
晩ご飯の買い物をする時ですら、夕方のダイエーの食品売り場で気付いたら1時間うろうろしている事はざらでした。

それはさておき、せめてお餞別をくれたり送別会をしてくれた友人たちにはお返しをしたいのですが、、、ごめんなさい。
大したものが本当に無い。
先に謝っておきます。

さて。そんなこんなで旅は最終地点のニューヨークへ。

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バス三昧のグアテマラ・メキシコ

約3週間、ただひたすらに楽しい思い出を心と身体に刻み込んだ冬休みを満喫したニイナです。
身体の方は主に山登りの筋肉痛と、毎日飲んでた所為か膵臓?肝臓?なんか腰に近い内蔵の痛みとなって刻み込まれたんですけど(笑)

この日のイメージソング:James Blunt ”Goodbye My Lover”


ケツァルテナンゴ行きのシャトルバス(190ケツくらい)は朝5:30というとんでもなく早い時間と、次は午後14:30しか無いので、チキンバスで帰る事にしました。

1月9日の午前遅くアンティグアの市場奥にあるターミナルまで私の荷物を持って見送りに来てくれた、センセイ(仮名)とお別れしました。
私から溢れ出るほどのたくさんの感謝の気持ちを上手く伝える言葉が見つかりません。
きっとこれからの私の生き方を私自身が誇れる様に生きていく事で(センセイだけでなく私の周りの)大切な人・友人達に気持ちを伝えていけるのではないか、と思います。

偶然センセイとおそろいのPC。
ちなみにカラフルなキーボードはどこでも欧米人に声をかけられた可愛さです。
そのうち左側も似た様なのになる、、、のか?!

チキンバスにしてはそこまでぎゅうぎゅうの込み具合ではなかったので、どの写真をブログに載せようかと考えつつ写真を見ながら思い出に耽っていたら、1時間程で乗り換え場所のチマルテナンゴに到着。
が、そこで幹線道路沿いの乗り換え地点で降り損ねたらしく、終点でケツァルテナンゴに行きたい旨を若い車掌さんに言ったらこのままもうちょっと乗ってな、とのこと。
一人残った回送中の車内で私が日本人と分かったらいつもの質問タイムかと思いきや、初めての質問でした。

日本はいつも暴力があるか?そうか、安全なのか、ここは毎日殺人があるよ。」

何とも返しようのない会話をしていたところで乗り換え地点に近づいたらしく、「2ブロック先にケツァルテナンゴ行きのバスがしょっちゅう来るから!」と言って降ろしてくれました。
そこから乗ったチキンバスは、、、今までの私のバス史上、最悪の状況でした(笑)

初めてサンペドロに向かった時のピックアップバスで巨人(仮名:好きだけど嫌いな元ルームメイトのアメリカ国籍イスラエル人)にしがみついていた30分なんてまだ可愛いもんだったと思えるくらい。
本来2人がけのシートに3〜4人ずつ(通路に身体のほとんどがはみ出た状態で)座っていて、さらにぎゅうぎゅうの通路に立っていてもそれらの(ほぼ男性の)はみでた身体に挟まれていて身動きとれずで、急カーブの爆走3時間。
いやぁ、疲れた。

 私の左側 私の見えない足下
 私の右側


という状態でケツァルテナンゴに到着。
思った程は寒くなく、慣れた道を通り抜けてマイクロバスの乗り場に行き、セントロへ。
学校のすぐ近くの素敵なホテルに部屋が取れたので、ちょいちょいと動き回ります。
明日の移動のバスチケットの予約確認と、学校で長期割引分のお金の受け取りと、学校に置いていた荷物(スーツケースのドンガバチョ)を引き取って。。。

もう学校に行っても仲の良かった友人達はみんな他所へ旅立ったか、ちょうど(昨日までの私と同じ様に)国内旅行中かで会えませんでした。
私の先生も子どもの学校が冬休みが終わったみたいで午後は忙しいらしく学校に来る事も無いし、仲の良かったスタッフ達も会えず。
あぁ、今ここに誰もハグしてお別れする人は居ないのが寂しい。

夜になって、アンティグアで一緒に登山してケツァルテナンゴに先に移っていたお兄様(仮名)とお食事する為に約束の場所へ行こうとしていたら、とっても会いたかった小さなお友達、イリアナとその家族を発見!


彼女は私がケツァルテナンゴの公園で漢字売りをしていた時に、最初に仲良くなった公園仲間です。
お母さんがいつも公園で1つ5ケツのチョコを売って回っている所にくっついています。
私が漢字売りをしている時に、いいアシストをしてくれていました。

私をニイナと呼んでくれていたイリアナは会わなかった約1ヶ月の間にちょっと大きくなっていて、私の名前を忘れたのか出会った頃の様に、セニョー(ご夫人)と呼びかけてきてちょっと切ない。
学校といい、イリアナといい、私が居ない3週間の間にケツァルテナンゴの時計も当たり前に進んでいて、明日でここ3ヶ月半私も持っていたその時計とももうお別れなんだと実感してきました。

10年後、この街はどうなっているだろう?
10年前にはこんなに車が多くなかったというケツァルテナンゴは、今後変わっていく気もするし、もしかしたら何も変わってないかもしれないと思わせるくらいにティピコ(典型的)なグアテマラの中でもちょっと特別な街です。
10年後(とは言わずにもっと早くかもしれないけど)遊びに来よう。
その時はイリアナも立派なお母さんになっているかもしれない。

翌朝、私の初めての日本語の生徒君ともなんとか会えないかと調整しましたが会えないままでお土産をホテルに託して、8時過ぎにシャトルバスでメキシコのサンクリストバルデラカサスに向かいました。
シャトルバスは一度近くの村で乗り換えがあり、最終的には9人の乗客で出発。
唯一の現地人、メキシコ人のダンサー(に見えずにシンガーっぽい)君は黙々と運転手さんを手伝って、私の超重たいスーツケースのドンガバチョ他、みんなの荷物を車の屋根の上に運んでいました。
車内の後ろ半分はヒッピーなスパニッシュカップルが盛り上げ役となり楽しいものでした。

残念ながらイスラエル人の女の子が当たり前の様に「私の荷物だけは安全な所においてちょうだい。喋りたくない人とは喋らない。でもご飯持ってるなら分けてちょうだい」という姿勢を押し出してきて、挙げ句イスラエルの軍事の正当性について大演説を始め、全体の和を考える日本人としては面倒くせえな、という思いもありましたが。
今、ケツァルテナンゴで知り合った友人の第二の巨人(オランダ人)が言ってたのを思い出しました。
『イスラエル人たくさん見てきたけど、ろくな奴居ないよ』
ははは。もちろん全部がそうとは言いませんが、私も今のところ7割くらいで自分勝手な人が多い国なのか、と思っています(笑)

笑えたのは、セントロパルケでよく見かけていた、(あまり上手いのか下手なのかわからない)棒に火をつけて振り回す大道芸をやるヒッピー達が多く乗っていて、彼らはみんなサンクリが大好きということ。(もちろん堕落のヒッピー村は既にみんな当然行っています)
この人達、私にはみんな同じに見えてたけどたくさん居たのね。

バスはくねくねしてやはりシュッとは行かないグアテマラの道を延々進んで国境へ。
一度、グアテマラ側で出国手続きをして外にたくさん居る両替商で換金。
で、国境のゲート横を歩き抜け、待機してあった違うバスに乗り換えてから3分程走った所のメキシコ側イミグレで入国手続きです。


荷物を自分で運んだりして面倒くさいですが、お金もかからず日本人は特に何かを聞かれる事もなく、ベリーズの時に比べたら何も無くて楽なものでした。
(私がベリーズに行った数日後から1ヶ月の混乱期を経て今は日本人もビザ無しでベリーズに入れるそうですが。)
手続きは待ち時間を含めてトータル1時間か1時間半くらいだったと思います。

そこからまた途中休憩を挟んでひたすらバスは走り、まだ暗くなる前の夕方にバスはサンクリの一等バスターミナルに着きました。
ここから、翌々日の朝までに帰りの飛行機が出るメキシコシティまで行かねばなりません。
メキシコは長距離バス天国。(今回のサンクリからメキシコシティに向かうバスは約14時間かかります
Wi-Fiつきやらのデラックスなバスがあるらしい、ただしグアテマラみたいに安くはないけどと聞いてはいました。
確かに、3年前にメキシコに旅行した時に乗ったバスは(寒くてどうかなるかとは思いましたが)のびのびしたバスだったもんなぁ。

窓口で聞いたら、今日はもうここから出るシティ行きは全て満席だと言われ、劇重スーツケース(名前はドンガバチョと言います)を抱えた私はやっべぇな、と。
サンクリまで一緒のバスだったメキシコ人ダンサー君がシティの家に二等バスで帰ると言ってたな、と思い出して彼を探し出し、二等バスは席があったのか聞いたらそっちもない。
彼は明日乗れるバスまでサンクリで一泊するとの事。
私ももう最後は明後日の朝までに空港にさえ着ければ何でもいいや、今日はもう噂に聞いていたサンクリの日本人宿で一泊しようかしらと思い始め、もう一度窓口に行って明日のバスを聞こうとしたら。。。

今日のバスで1席空きを発見!やっぱりさっきとは他の人に聞いて良かった。
即座に申し込み、荷物預け窓口で本当は30分しか預かってくれない所を50ペソ払う事で2時間預かってもらいました。
こういう時、本当の値段が分からない事もあり未だに賄賂だらけのメキシコだし、と割り切ってさっさと払った私は自分自身がもうグアテマラからメキシコモードに切り替わったんだなと実感。
バスが出るまでの間に、小さな街だけどコロニアルで可愛いらしいサンクリを見ておこうと思い、セントロまでダンサー君と歩きました。
ダンサー君がお宿探しをしている間に(後に彼は一泊35ペソ約315円のお宿を見つけていた)、私は可愛いサンクリのセントロを一周し、また長時間の乗車に備えてセントロ近くのレストランバーでワインとエンパナーダ(中南米の軽食の代表格。トルティーヤを使った包み揚げ)のセット125ペソでお腹満たし完了!
このホテルと軽食のそれぞれの価格、なんかいろいろおかしい気が(笑)



セントロでダンサー君とお別れする際のハグがケツァルテナンゴ時代の友達以来、久々にされたギュムーっと強い感じのものだったので、かなり酔っぱらうと抱き付き癖のある私はちょっと嬉しく・・・いやいや違います(笑)
そういや私、今は一人で旅行してんだった!とちゃんと思い出し、気を引き締めた次第です。
そう、どんなに爽やかなスナフキンの様な人でも、メキシコ人ですから。
一般的にはシャイなグアテマラテコよりメキシカーノは情熱的なのでね。

あ、ちなみにラテンアメリカでは友達同士でも女性相手には握手より、ハグかほっぺ同士をくっつけるチューが一般的です。
欧米人の友達も、仲の良い男友達はギュムーっとハグ、普通の友達や初対面の人は軽いハグもしくは男女問わずほっぺっぺって感じでした。
これを日本人はやらないからなぁ。
やるとこなれた感じに見られるし、何より安心感が増すのでいいと思うのですが。

さて、バスターミナルまで戻り予定より1時間近く遅れてだったかな?バスはシティに向けて出発。
アメリカやメキシコの国内線飛行機やグアテマラの一等バスが極寒だったことを覚えている私は、二重靴下やブランケット代わりのストール、空気式枕等と共に万全の準備で乗り込んでいました。
おかげで、出発後2秒で寝落ちしてぐっすりと睡眠を取ったのでした。

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祭りだ!わっしょーぃ

スペ語特有の代名詞の使い方の練習が少し楽しいニイナです。
これをもっと上手く使えるようになれば、語彙が少ない私でもこなれた感じに(見えるだけですが)話せるのですが。

その為にはとにもかくにもたくさんいろんな人と会話をしなくては!!
という名目で。最近はよく遊びに出かけて、知らない人と会話する機会を作っています。
まだスペ語が喋れない人(アメリカ人は英語で喋り倒してきます)相手には、スペ語の練習と言うよりは、初対面の人と話す練習という感じです。

で、夜遊び系はお酒が入って英語でもコミュニケーションが取れる率が20%くらい上がるので、それはそれで楽しいのですが、ここも一応ラテンの地、男女二人で踊るダンスが必須アイテムなのです。
ラテンの血を持っていない私は一人で音楽に合わせてぴょこぴょこしてる方が好きなので、結果あまり喋れない事も。

そうなると夜遊びにかける体力と時間とお金の無駄なので、ちょっと環境を変える事を試みてクリスマス休暇も兼ねて、アティトラン湖というところに来ました。
火山に囲まれた大きな湖の周囲に村が点在していて、のんびりしています。。。そして暖かい。
サンペドロというこの辺りの村々では一番大きな村を起点にしましたが、ケツァルテナンゴから直線距離にして40kmくらいしか離れていませんが、こちらの道路事情と交通事情ではバスで3時間くらいかかります。
ここもスペイン語学校が沢山あり、しかもケツァルテナンゴより相場が安いです。
ただスペイン語は第二言語で、第一言語は実はマヤ系という先生が多いので、スペ語の教育レベルは学校にもよりますがケツァルテナンゴより低いとも聞きます。

村でのクリスマス休暇とスペ語練習の成果についてはまた次回にご報告するとして、日常にあるお祭りについて少し。
毎日、爆竹や花火、爆音パレードなどなどでうるさいケツァルテナンゴの街ですが、クリスマスが近いこともあってさらにその数が増えました。
 

12月12日はグアダルーペという日でえーと、、、どう意味合いの祭りだったか忘れましたが、各街のセントロや教会にキリスト誕生の様子を再現した飾り付けが施され、民族衣装を着た子ども達が街に溢れます。
 
因みに学校の先生に私も民族衣装着たいなーと言ったら、学校のコーディネーターのジオ君に頼んでくれて、彼のお母さんに民族衣装をお借りして着付けもしてもらいました。
 
この服、結構重たくて、糸を染めるとこからの手作りなので現地でも意外とお値段が高い。
上着だけで最低でも3000ケツ(45000円くらい)はします。こっちの人からするとかなりの高額商品です。


他にクリスマス関連で言えば、ポサダというのがありまして。
正しい説明が出来る自信がないのですがざっくり言うと、キリストが産まれる前にマリアさんとヨセフさんがベツレヘムまで行く時に各地でポサダ(今で言うドミトリーらしい)に今夜一晩泊めて下さいなー、とお願いしていたシーンを再現したものらしい。
教会から出発した、各家の手作りの御神輿をかついだご一行様が街を練り歩き、家に着いたら今夜泊めて下さいなーの歌を歌って家に入れてもらう。その後、ご近所さん等も集まってみんなでお祈りしたり、幸せに感謝したりして、食事をするという感じ。
数日間のうちの1日だけ自分ちのを開催して、他の日は他所の家にお邪魔したりするので、毎晩がお祭りのようです。
  

そうそう、先日はルームメイトの誕生日がありまして。
メキシコではピニャータと言う飾り付けを施したくす玉的ものを主役が棒で割ると、中からお菓子屋プレゼントが出てくる、そんなお祝いの仕方をする事は知っていました。
グアテマラでは(なんと呼ぶか忘れましたが)ピニャータ自体に爆竹を仕込んでいて、お菓子を取り出すのではなくて破裂させて祝う様です。
 
ピニャータ大爆竹の後はみんなで手持ち花火やネズミ花火を楽しみます。
電線、目の前にあるけどね。車、むっちゃ通ってるけどね。
関係無しです(笑)


最後に。これはお祭りには出くわしてないのですが、素敵な花嫁さんを見かけたので一枚。
こちらは結婚式は夜開催がメインと聞いた事もあります。
 

そんなこんなで今日も街のどこかでたくさんの小さなお祭りがあるのです。

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男子禁制のいろいろ。

とか言ってもメンズも見ちゃうよね、でも大してグロい事は書けません、相変わらずのニイナです。
そんなにメンズ慣れしているわけでは無いので外国とか日本とか関係なく思う事も多々有りですが、外国で初めて暮らす私にとってはいろんな感覚の違いに驚くことが多いので、ちょっとそんなこんなのまとめ。

まずパンツ。いきなりこんなですみません(笑)
普段、洗濯屋さんに洋服の洗濯をお願いしていますが、私は下着だけは自分でお家で洗って他の人の目につかないように干しています。
単純に恥ずかしいからです。え、だって嫌じゃん、顔と名前を知られている洗濯屋さんにこんなの履いてんだーと思われる事も無いだろうけど思われるのは。

外国人はそんな恥ずかしさは無いのか、男女関係なくばんばん洗濯屋さんに出しているみたいです。
ベリーズでは洗濯屋さんから返ってきた服の中に女性用の見知らぬパンツが紛れ込んでいた事も有り。
以前の家ではけっこうな頻度で(ルームメイトもお年頃の男の子も通る)廊下でお家の女性のパンツ見る事が多かったなぁ(笑)

もちろん全部の家や人がそうではないと思いますが。
私が女三姉妹の家族で家の中に男性は父一人という家で育ったからでしょうか、なんか恥じらうのは。
そもそもそんな恥じらいって海外では不要なのかなぁ、と思うくらいに、パンツ洗って干している最中に(単純に物珍しさで)普通に「洗濯しているとこと干しているの見せて」と言って来た男友達や、物干し場から回収している所をじっと(からかいながら)見に来る今の家のお父さん。。。
「見ないで〜!」と言いながら隠しますが(笑)
なんだか恥ずかしがっているこっちがギャグみたいです。

パンツと言えば、腰からのパンツ見せ男子が日本より多くてなんだかなぁ。
グアテマラ人も欧米人もです。ダンスが得意なイケイケ系若い男子は(自分に自信があるのか)ぷよってても腰まわりを見せたがりが多いですね。日本でも見せてるイケイケ男子は多いですが、あまりぷよってる人は見せてないと思うんですよね。
個人的にはやっぱここはどんなの履いてるかは分からない秘密の花園であってほしいところ。(変態的発言ですか?古風過ぎますか?)


次に女性のお買い物編。
海外旅行での選択肢「生理用品は現地調達するか否か」は大きく意見が分かれます。
今でこそ他国の製品も品質が上がってきたと聞きますが、日本のものに敵う使い心地のものは無いと信じる人が私を含め多く居ると思います。
ただ、消耗品を荷物に詰め込むには限界がある。。。
知り合った女性バッパーの中にはちょっと前から流行っている布ナプキン派もいらっしゃいました。
確かにあれは荷物にならなくて良いだろうなぁ。もちろん身体の為にもいいし。
私は日本から大量に持参した分がまだ残ってはいますが、アメリカで一度買ってみました。
結論:悪くはないけどやっぱり日本製が安心。
因みに、現時点でのケツァルテナンゴではタンポンは大きなスーパーまで行かないと見かけませんでした。
タンポン派の方はご注意を。


次に本当にここから先は男子が見ても面白い事は一つもないと思うので、回れ右した方が良いですよ。

まずは「イケメン事情」(笑)
グアテマルテコに関して言えばイケメンって見た事が無い。
まぁ未だにみんな同じ顔に見えているので、あまり見つけられる自信が無い、と言うのが本音ですが(笑)
全体的にマヤ系などの民族系が多いので、背も高い人は滅多に見かけません。
一度、クリスマスパレードを見ている時にちょびっとイケメンが居たので、激写(笑)

(周囲からは「ニイナの趣味はちょいワルか。。。」と冷めた目で見られましたが/笑。違うゎ!)
でも今思えば、そのパレードは周辺各国からも参加するチームがある大きなものだったので、グアテマラテコではないかもしれない。。。

女の子はたまに10代と思われるかわいい子が居るのですが、もったいないことにそういう子に限って民族衣装系の女の子も含め、化粧が濃いので本当の顔が分からない。
この子は素でかわいいだろうな、と思う子もビックリする色のアイシャドウや口紅をしています。
そういやファンデーションがあまり売ってないな。
こんなにいろんな肌の色の人が居るので、パーソナルカラー診断とか自分の顔を活かすメイク講習とかしたらウケると思うのですが。
しかしなんで20代以降ガラりと美人さんを見なくなるのかなぁ?
それとやっぱりみんな平気でズボンのチャック開いてるし(笑)
あ!でも胸の小さい人は居ません!さすがです。

そうそう若いと言えば、アジア人は世界中どこでも若く見られると思いますが、ここも同じくですね。
グアテマラ人は実年齢より少し老けて見える人が多いです。
私の場合は平均して20代前半に見られる事が多いですが、実年齢を言うと大概仰け反ってビックリされます(笑)
というか、外国で年齢ってあまり関係ないですね。聞かれもしないし、年齢が離れていてだからどうしたって感覚でしょうか。自分より若い彼氏が欲しい人にはグアテマラ、おススメです(笑)

さて、グアテマラ人ではなくて外国の、と言う意味で。
ここは多くの旅する外国人が居て(私もその中の一人ですが)、そんな外国人の中にはたくさんイケメンが居ます。
彼らに接して思う事:「やっぱりこの世は白人男性至上主義」
彼ら自身にそんなつもりはないのだろうけど、ここに居ると彼らがいかに上位に居るのかよくわかります。
私の場合は英語コンプレックスもあって更に彼らはズルいなぁと思ってしまうのですが。

彼らが地元民や他の肌の色の人を差別をしているわけではありませんが、周りが彼らを上位として扱うし、彼ら自身が一番優遇されていることを分かっています。。
特に背が高い男性はそれがあるかもなぁ。喧嘩をふっかけられる事もないし、襲われる事もないからか、アメリカと同じで「おれ、でかいだろ。すげえだろ」の上から目線が身に染み付いてるかと。
オージーは島国気質なのか民族が草食系なのか、のほほんとしている人が多いのでそう感じませんが、アメリカンやヨーロピアンは国民気質として他のメンズと内心争っている部分が結構あると思います。
たまたま今の私の周りのメンズが分かりやす過ぎる(単純)過ぎるだけかもしれませんが、これは普段外国人に揉まれていない日本人女性だから気付いたと思います。

背が高い金髪白人

金髪白人

背が高い白人

白人

黒人(超少数)・ガリフナ系(ベリーズとかジャマイカンなイメージ)

アジアン

地元ッティ(西洋寄りの顔)

地元ッティ(思いっきり民族系)


私が感じるのはこんな図式ですね。


一番分かりやすかった例は、友達のスウェーデン人の若い男の子と踊りに行った時の事。
彼は自分の国では背は高い方ではないと思いますが、飛び抜けた金髪と真っ白な肌を持っています。
それだけで女の子達は白人も地元ッティも彼をつかまえようと必死だし(アジア人に持っていかれてなるものかって感じです)、グアテマラテコはもちろん普段自信満々な茶髪の普通の白さの男の子も、こいつと仲良くしておこうとちょっと下から接している、もしくはちょっと遠巻きになるのがよくわかります。
私に関しては「え、お前俺様じゃなくてこの金髪ぼうやにくっついてるんだったら、俺は他の女と踊るぜ」的な空気というか。
私自身はもうそんな駆け引きみたいな面倒くさい事に関わるような年齢じゃないので(笑)、それらの有様を冷静に観察していましたが。。。(いや、そんな冷静じゃない時もあったかな)
まぁ、スウェーデン人君はとても若いのでまだ夜遊び経験値が低い事が悟られると、途端にメンズは「俺の方が上手く踊れるぜ」的(やっぱり上から目線)に変わっていくのも端から見ていると呆れてしまうのですが。。。

そもそも人種云々の前に男性が無意識のうちに他の男性と張り合ったり、縄張り意識で女の子を自分のもののように思ってしまうのは仕方ないのかもしれませんね。
(女の子を自分のもののように思う意識は嫌いだけど。私の心は私自身のものだっつーの。)
同じく冷めた目で見ていた30代の日本語ぺらぺらのダントツで背が高い金髪白人君(頭がいい)から、その男性心理を日本語で解説してもらって、ようやっと理解出来た次第です。

とにもかくにも、世界で暮らすってこういうことだと、今更ながら思う今日この頃です。

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