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ニイナさんの海外転職レポ

お金、コネ、専門技術、語学力、彼氏、全て無し!の33歳独身女性が体当たりで始めた海外転職活動と@ラテンアメリカのリアルなレポート。語学留学と就職を決めるまでの第一章、メキシコで就職して驚きの連続の第二章。目指した業界に転職しての第三章です。

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夢のスタート的南米旅行:11.風の中のパタゴニア編。

この日のテーマソング 福山雅治 "そのままで・・・

アンパンと思って買ったのがチーズパンでちょっと切なかった週末を過ごしたニイナです。
メキシコシティに行く用事があったついでに、日本人がやってるベーカリーカフェで
昨日の売れ残りの詰め合わせを買ったら、これやもんねー。
まぁ、チーズパンも美味しかったから、いいんですが。



さて、アタカマ砂漠の満天の星空は、サンペドロ・デ・アタカマの町の
ホテルで早朝、空港行きのバスを待ってる間も、同じく美しくて。
短い滞在ながら、満足してアタカマの町を後にしました。

カラマの空港からskyエアラインというチリの航空会社の飛行機を
2本乗り継いで向かったのは、プンタ・アレーナス、というパタゴニア地方のチリ側の場所です。

この旅に出発すると思い立った当初、パタゴニア地方に行く予定はありませんでした。
旅のきっかけとなった、友人の結婚式が開催されるボリビアからは
離れすぎているし、雪山登山とかするタイプでもないので。

が、出発ギリギリに受け取った、日本で買ってきてもらった
地球の歩き方を読んでると、、、うん、氷山を歩いてみよう!と思い直し
ルートに組みこんだ次第です。
これまでの旅程を考えなしにぐるぐる回っていたから、
最後行けるのはギリギリで1日ぽっちになっちゃいましたが。


プンタ・アレーナスに近い上空にて。

さて。プンタ・アレーナスの空港に到着したものの、、、その日のお宿がない!
とりあえず乗合タクシーで街に出てみます。

家が中南米の煉瓦(のボロい)造りではなく、木造?とにかく欧米っぽいデザインです。

タクシーの中で、お宿決まってないんだよねー、と車掌さんに言ってみたら
安宿を紹介してくれました。
街の真ん中に近く、安くて古臭いながらも、清潔でスタッフの女性も
感じが良くて安心な感じです。

早速、荷物を置いて街中を散策。
やたらと「世界の終わり」(世界の果て、かな。)という名の会社やお店が多い。。。
まあ、確かに、ここはパタゴニアのチリ側では一番南の空港もある場所だしな。
まだこれから春本番、といったここは夜の20時近くまで明るいので
ヨーロッパな街並みを楽しみながらのんびり歩きました。


ヨーロピアンな街並み



マゼラン海峡


マゼランさん。でもこれいかにも原住民を征服した!ってポーズなのよね。。。


魚介祭りが続きます。


翌日。氷河があるロス・グラシアレス国立公園(アルゼンチン側)に向かうべく
バスを探していると、、、なんと。なかなか無いよ?
というか、直通のバスは元々無いのですが、
チリ側を北上して、プエルト・ナタレスという所で乗り換え、
風光明媚な景色を通るルートのバスが無い。
プエルト・ナタレスまではバスは1時間に1本くらいあるのだけど、
そこからの乗り換えのバスが1日1本しか無いらしいのです。
どうやら早朝に出ないとそのいい感じの乗り継ぎバスに乗れないらしい。
が、もう昼近くやねん。。。

必死で街中をゴロゴロスーツケースを引っ張りながら走り回り、
ようやく、ペンギンバスという(マイナーな)バスで、
チリ側ではなく、アルゼンチン側に入って
リオ・ガレゴスという所まで行き、そこから北上するルートなら
今日中にエル・カラファテの街に着ける、ということがわかり飛び乗りました。


町の出口にはたんぽぽがたくさん。
風が強いこの地方で、たくましく存在を主張しています。

バスは海沿いを通り(ペンギン宿営地の近くを通ったので探しましたが、時期的に見れなかった。。。)、その後は羊さんがたくさんいる広い大地を走り。。。


海の青さがなんとも独特。ペンギンは見れませんでしたが、なんかいた。


海沿いにもたんぽぽ。

で、最後の陸の国境越えです。
チリは以外と好きになったなぁ。

乗り換えしたリオ・ガレゴスの町では、手持ちのチリペソをアルゼンチンペソに替えて
チリペソを全部使い切ってしまいたかったのですが、
町に唯一の両替商が休み。。。
街をうろちょろしてなんとかHSBCのATMを見つけて、
メキシコのデビッドカードでアルゼンチンペソを下ろすことに成功して
ひとまずアルゼンチンペソをゲットしたので一安心です。

ガレゴスは街全体あまり道が整備されていなかったりで、ちょっと殺風景でしたが、花はやっぱりこんな常に強い風が吹いているところでも咲いています。

そしてまた夕方からバス。
よく考えたらこれがこの旅で最後の長距離バスでした。
綺麗な夕焼けがパタゴニアの広い空をオレンジ色に染めていました。

深夜に到着したエル・カラファテのバスセンターから、タクシーでお宿に向かいました。
明日、氷河に行くツアーを探すんだ〜、とタクシーの運転手さんに言っていたら
「明日、多分タクシーが必要になると思うから連絡して」と。
はて?

とりあえず、到着したお宿で
「明日、氷河に行くツアーに参加したいけど、明日の朝の申し込みで間に合うかな?」
と確認したら、朝8時くらいにツアー会社に行けばいいんじゃない?と。
それを聞いて安心してその日は眠りました。

翌朝、小さな街のメインストリートのツアー会社を探し回ります。
朝になって歩いて気づきましたが、カラファテの街は
ヨーロッパのアルプスの麓の街の様な雰囲気です。
こじんまりとしていて、どのホテルもロッジの様な作りでなんともほっこりします。


どうでもいいけど、パタゴニア地方では、アウトドアブランドのショップは
PatagoniaよりColombiaが多い。。。

メインストリートにはたくさんのツアー会社があるのですが、
氷河の上のトレッキングをするツアーを仕切っているのは1社しかなく、
そこが朝早くから開いていたので、氷河ツアーについて尋ねました。

そしたら。なんと。
ツアーはあるけど、そこに行くバスがもう満杯なの。とな。
なんと〜!!!ここまで来て氷河が見れないかも?!うっそーん!!
タクシーの運転手さんが言っていたのはこういうことか。。。
とりあえずレンタカーでも借りれるかな?とか思った瞬間に
目の前で凍った路面でスリップした車が事故ったのを見て、即その考えは捨て。

それからタクシーのオフィスで値段を確認したのですが、
確か2000ペソか3000ペソとか言われたかな?(覚えてない。。。)
それに現地で国立公園の入場料やらボートの料金を払った上で
更に現地で氷山を歩くツアーの代金を含めると、、、軽く3、4万円になる計算だったと思います。

そうまでして、本当に氷山を歩きたいのかな、、、と考えて
そういや最初はパタゴニアに来ることすら考えてなかったんだった、と思うと
もう氷山は登らず近くで見よう!と切り替えて別のツアーを探しました。
それで見つけた方法は、バス会社が出している、添乗員付きの往復ツアーです。
添乗員は居ますが、現地の国立公園では各自自由行動なので好きな様に歩けます。
これが意外と良くて。

10人ちょっとの小さい団体でのツアーだし、
おばちゃん添乗員が、私がツアー客唯一のアジア人なこともあり、
何かと気にかけてくれていたので、安心して楽しめました。



行きがけに通った湖はその名もアルゼンチン湖。
国旗と同じ水色です。

国立公園内でも自由オプションのボートに乗ったり、
散策ルートも丁寧に説明してくれたりで、存分に色んな角度からの氷河を楽しみました。

ところどころ、とんでもなく深いコバルトブルーに見える部分があります。
やっぱりその美しさを写真で表現できないのが残念ですが。

遠くの山も綺麗で、見ていて飽きません。



時折聞こえる轟音は氷河が割れて崩落する音。
轟音の前にはバシンっ!と亀裂が入る音があります。

それらと、すぐ近くにある鳥の声を耳にしながら、ひたすら森の中を歩き回りました。

 お鳥ちゃん。名前は不明。  
遊歩道がきちんと整備されていて、森の中コースや氷河を上から見るコースや下から見るコースなど、好きに選んで歩けます。

私は最後にレストランに着くようにルートを設定して、、、

氷山から切り出した氷でウィスキーをロックでいただきましたん。

ツアーに大満足して町に戻ってきて。
やっぱり肉肉王国のアルゼンチンなのでお肉食べよう、と。
しかもパタゴニア地方は羊さんが名産ですからね。
・・・でもやっぱり全部は食べきれずにお持ち帰り。
明日はついに旅の最終日です。


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夢のスタート的南米旅行:10.光るアタカマ砂漠編。

この時のテーマソング The Crash "I Fought the Law"

隣のお家の宴会の盛り上がりにビビっているニイナです。
おそらく日本人の男性のみ数人で、楽しそうにカラオケ大会をやってるみたいです。
メキシコはタウンハウスタイプの家(壁一枚で隔てられたニコイチまたは長屋的な複数の家。外観的には一つの大きな家)が多くて、こういうところ初めて住むのですが。
日本で言うところの、安いワンルームマンション並みに音が聞こえるのね!
いつもこっちの家の建築現場を見ると思うのですが、ブロック作りの壁は密度低そう。。。
なのでまたよく響く。
でもなんの歌を歌っているかわからないしうるさいので、こっちは
氷室京介のkiss me (なんでかここ2、3日耳から離れん)を大音量で流して防御です。


さて。すったもんだのペルーはプーノから、国境沿いの街のタクナへ。
タクナから、チリ側の国境沿いの街のアリカまで近いので、
タクシーでも行けると前回アリカを通過した際に聞いていたのですが。
バスも普通にあったので乗ってみることに。
チリ人かペルー人かよくわからん行商のおばちゃん達でぎゅうぎゅうのバスです。

砂漠を走ります。時々、なんかのプロジェクトなのか工場っぽい建物がドーンとあったりします。

この国境越えはバスの運転手さん?車掌さんに先にパスポートを預けておき、
国境手前で受け取って、イミグレを自分で通ります。
通関は厳しくはなく、ほぼスルーです。

チリ側イミグレ

そんなこんなでアリカまで無事に到着。
早速アリカからカラマという土地に行くバスを探します。
・・・ってどのバス会社も夜出発しかない。
仕方なく、アリカの街のセントロを1日のんびり散歩します。

アリカのメインストリート。
国境沿いの町だからか、服飾雑貨の大きな市場が点在していて、安い。
旅で服は買わないのですが、あまりの安さに普段は買わないもの(2着目の水着とか派手な下着とか)を思わず買いたくなる衝動(笑)


要塞があります。麓ではカップルがたくさんいちゃついてます。

 
要塞の前はもう太平洋。この海の向こうの日本を思ってちょっと涙がちょちょぎれそうに。


あったかいところのお花もいっぱい。


太平洋沿いは本格的なチリのセビーチェを。絶品すぎて言葉にならんくらい美味しかった!


夜。カラマ行きのバスへ。

ここで初めてインカコーラを飲んでみる。味はオロナミンCです。
ってかコカコーラ社が製造・販売してんのね。

途中、深夜に起こされてなんか外に出させられる。
こういうことよくあるのですが、軍だか警察だかが、バスの中を検めるのです。
日本人は大概オーケーだと思うのですが、パスポートが物珍しいのか
何度も何人もが私のパスポートだけ見に来たりするんだな。
怪しいもの何も出て来んし、眠いけん、早くして。。。


ちなみに、このカラマという街は、世界最大の露天掘り銅山が近くにあり、
世界中から技術者などが集まって発展したところ、、、で超絶に治安が悪いとな。
早朝に着いたバスの駅(カラマは集合したバスターミナルではなく各バス会社の敷地内から発着)から出ないように言われます。
バス会社の敷地内の野良犬も大概怖いけども。

1時間半ほどして、目的地のアタカマ砂漠行きのバスが来たのでそれに乗ります。
バスの中でも窓側はサングラスが要る眩しさです。
地元の人でほぼ満席の状態で砂漠の中をこれまた1時間半ほど走ると
砂漠のオアシス町のサン・ペドロ・デ・アタカマに着です。

ここに来たのは、きれいな星が見えるから。
昔、世界の果てまでいってQのカレンダーを作る企画で
世界一きれいな星空を撮る目的で選ばれていました
肉眼で銀河を見るんだぉ、と。

サンペドロ・デ・アタカマの町は、観光業が盛んで、町のいたるところでツアー会社があります。
そして何故か、そのツアー会社の人たちが、みんなチリ人に見えない。。。
英語喋るドレッド長身いい感じの日焼けイケメンが多いからか(笑)
町自体、なんとなく、雰囲気がグアテマラのヒッピーの聖地、
サンペドロ・ラ・ラグーナによく似てる。。。なんか気怠い観光地な感じが。


どこもかしこも眩しい。

そんなところを何軒か旅行会社やカフェを見回りながら、お宿にも到着。
この町は大型ホテルはなくて、コテージタイプがほとんどです。

私の申し込んだ旅行会社とカフェ。


早速、荷物を置いて、夕方からのツアーも申し込んで、ツアーが始まるまでの間に
マウンテンバイクを借りて、ちょっと砂漠(まで行かないけど)をサイクリングしました。

装備バッチリです。久しぶりの自転車。名前はナランハ君と命名。


こんなところをぼっちで走りながらちょっと寂しさ感じるというか、ここでなんかあったらどうしよう、とかも思ったりしつつ(でも町からまだ3キロも離れてないw)


こんなところに到着。

なんのために作ったのかよくわからんところ。

ちょっとアメリカのグランドサークル回っていた旅を彷彿させます。


砂漠のオアシス。

遠くには5000m級(らしい)おにぎり山が。
広い。時間と水があればもっとサイクリングしていたいんだけど。


観光名所の月の谷、というところへ行くにはちょっと遠かったので
町の周りをぶらぶらと走って、3時間もせずに町に戻って夕方から湖ツアーの開始です。


砂漠の中の塩湖目指して。

塩分濃度が高いのでぷかぷか浮きます。チリの死海、セハール湖です。

の、同じ国立公園(?なのか?整備されてる敷地内)の他の湖。

別の湖。塩湖で湖の周りを歩けます。ウユニみたいに塩の大地ではないのですが、ここいら一帯の塩分量はウユニを上回るそうな。

 
で、夕日を見ながらピスコサワー!お酒が入ると、ツアー客の輪の真ん中で饒舌に喋る私、、、。


お宿に帰って、夜は夜で、星空鑑賞ツアーに参加しました。
日本も参加するプロジェクトの電波望遠鏡、、、ではなくて普通の天体望遠鏡で、解説を受けながら星空を見ました。

肉眼で銀河?は見えませんでしたが、満天の星空!
写真に残せないこのキレイさは、やっぱりこの寒さの記憶とともに、
心のアルバムにだけ残せるものですね。


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夢のスタート的南米旅行:9.これでインカな?チチカカ湖編。

えー、ここからは旅から帰って仕事も2週間やって、の状態で書き始めましたニイナです。
ここんとこ、メキシコのグアナファト州レオン近辺は急に寒い。
旅の間に着ていたコートがクリーニングから返ってきて、
このコートでも寒いだろうな、と思ったら、旅がとんでもなく昔のようです。
ちゃっちゃと残りも書いて、今の転職後に感じる、たくさんの感情や見聞きしたことも
残していかんと今の感じたことなんて、どんどん過去のものになる。
毎日のアウトプットはホリエモンも推奨してることだし(笑) 頑張ります。

さて。マチュピチュからクスコに戻って、友達と別れた後。
私は一人、雨降るクスコ(極寒)のカフェでブログを書いたりしつつ、
夜からの移動まで時間をつぶしていました。

マチュピチュ行きの移動手段をアレンジしてもらった、クスコの空港の
旅行代理店のおじさんと夜9:00にセントロで待ち合わせて、
お願いしていた、ここからプーノという所への移動と、チチカカ湖観光のツアー、
とプーノからチリとの国境の町までのバスチケットを受け取るためなんですが。

もっと早くチケットを受け渡しに持ってきて、と依頼するのに、はぐらかされる上に
微妙に待ち合わせの場所もセントロから、バスセンターに変えられ。
なんか、この時から怪しい香りは漂っていたのですが、とりあえず、
タクシーをつかまえよう、としていたフランス人カップルをつかまえて
シェアしてバスセンターに行きました。

バスセンターにもなかなか現れない旅行代理店のおじさん。
やっとこさ現れたと思ったら、チケットは今から30分後に出発のバスの分しか持ってない!
プーノの街に着いたら、
◯◯という女性が7時半に迎えに来るから、ツアーに参加できるし、
ツアーの後に乗るバスのチケットもくれるから、と。

その女性が私をどうやって認識するのかしら。。。
ってかその人、何者だよ。
どこの旅行会社のガイドで、電話番号などを聞いても一向に答えない。
なんだこれ。モグリの自称・旅行会社とグルかな?
キレ気味で情報を促すも、大丈夫だから!と。

ラテンアメリカの人の言う大丈夫が、大丈夫じゃないことは
メキシコで1年半仕事をしてきて身に染みてわかってるんですよ。
特にここペルーは、この旅で通ってきた他の南米の国の中でも
一番レベルが低い、と言ったら失礼ですが、観光や輸送業、飲食業でもなんでも
サービス業全般において時間にルーズでプロ意識が低く、あまりいい印象が無い。。。

そもそも、旅行ができる程度のスペ語は話せる私が、わざわざ割高になる
全部セットで依頼したのは、安くて早いバスのチケットを探して
何件もバス会社や旅行会社のカウンターをやりとりをする時間や
面倒臭さを省きたかったからです。

それなのに何で、向こうでピックアップの心配とか、
何時のどのバスかもわからん状況に甘んじなければならんかね。。。
最後はバスの出発も迫っているので諦めて、
どうにでもなれ、でプーノに向けて出発したのでした。


翌朝。プーノのバスセンターで案の定、ツアー会社の人は私を見つけられんし。
Wi-Fiも無いところで何回、クスコの旅行会社のおじさんに公衆電話からかけたことか。
遅れて来た人は、おじさんの言ってた◯◯さんでもなければ、その人誰?とか言うし。
私、あんまり怒ったりしたくないんですけど、、、(泣)
とりあえず、ツアーに参加。


チチカカ湖は標高3800mくらいの所にある大きな湖で、ウル族とかケチュア族などが
住む島があり、中でも草で作った浮島に人が住むウロス島観光などが有名です。
船はフランス人とかカナダ人とかチリ人などで20人くらいのチームです。
ガイドさんは英語・スペ語の両方で話し、あとケチュアの言葉がちょっとわかるらしい。

私をなぜか苗字で連呼するので、苗字と名前を間違えて認識しているのかと思い、
「私、名前がニイナだよ」と言ったら、どうやら
私の苗字と同じ発音の言葉がケチュア語にあり、かわいい、とか美しい、という意味らしい。
フルネームで呼ぶと、かわいいニイナ、か。
ほほぅ、悪くない(笑)


船でケチュア語やチチカカ湖の説明を受けているとすぐにウロス島に着きました。


島もその上に建てた家も、トトラという植物でできています。しかもこれ食べれるし。


ふわふわ。裸足で歩きたい!

上陸した島のお父さんが島の作り方とか説明します。

左はガイドさん。

浮島は基本的に一ファミリーで一島。(こっちって親戚もファミリー。)
その中に家が数件あります。
因みに人数や家が増えてきたら独立して島を作ったり、
仲が悪くなったら浮島を切り離せるらしい。
だから湖にはたくさんの浮島があります。


フジモリ大統領の時代に各島に幾つかずつ設置された太陽光発電パネルがあります。

お庭?植物も生えていました。

その後は手作りのお土産ご紹介タイム。
と言っても、私たちがお邪魔したファミリーは、押し売りもなければ
のんびりと「私たちが作った刺繍を見て」と。
安いしかわいいし、けっこういいかも。
お家の中にもご招待してくれます。


ハイジの干し草ベッドのちょっと固い版なんでしょうか。
さすがに寝させて、とは言えなかったので想像。


自称:ベンツな船。一家に一台。

お別れするときには女性陣が歌でお見送りしてくれました。


大所帯の島もあります。


次に向かったタキーレ島はこりゃまたのんびりした景色の島です。

棚田好きとしては萌えポイント満載の島です。


本物も作り物(石)も、メンズのお洋服が可愛いのです。


やっぱり帽子をかぶってお洒落さんな石像。


この島の織物は世界遺産(文化遺産)に登録されているほどの高度な技術。
を、受け継いでいるのがなんと男性も、なんですね。
写真は撮っていませんが、道端でおじいちゃんが器用に編み棒で作っているのも見ました。
男性は女性に、女性は男性に織物をプレゼントするのだそうです。

観光業で成り立っている島だからか、写真を撮らせて、と言ったらどうぞ〜と。
見せびらかすわけでなく、普通に糸紡ぎのお仕事をしています。


お仕事。

ごはんはキノアのスープとマスのムニエル。美味しかった〜!!

食後のお茶はマテ茶ではなくミントティーでした。






彼らはお肉要員より、毛糸要員なの、かも。。。


空が近くて青い。湖も空を映して青い。

港へは600段の石段を降りて向かいます。高地のさらに丘の上にいたのね。。。


プーノに帰る途中、雨が降り出しました。寒い。

けど虹(しかもうっすらダブル)が見えましたん。

さて。
プーノに戻って最後の難関の、チリとの国境の町(タクナ)へのバスチケットの受け取り、です。
案の定、ツアーの催行会社の人は誰も何も聞いていないらしいし。
とりあえず、バスセンターで降ろしてもらい、このバス会社だよ、と
クスコの旅行会社のおじさんに言われていたバス会社のカウンターで
私の名前の予約が入っているかを確認。
・・・無い。

バスセンター内にある、ツーリストポリスで現状を伝え、
クスコの旅行会社に電話してもらいました。
直接文句言いたいのですが、プーノのバスセンターはWi-Fiが無いのです。
で、そのおじさんが手配を頼んだ、という◯◯さんの連絡先を何とかゲットし、
その人が来るまで、ツーリストポリスのお姉さん達とお話し。

こういう、モグリの旅行業業者の手配による被害ってよくあるの?と聞いたら、
残念ながら多い、と。
私はスペ語で何とかブーブー文句を言って、二重払いは避けてきていますが
スペ語がわからないひとが、時間がなかったり、怖い思いをしたら
やっぱりまた別のチケットを購入し直すためとかにお金を払ってしまうことも多いと思います。

こういうことがあると、途端にそこの地域の印象って悪くなるからなぁ。
その人一人が悪いだけで、その地域の人みんながそうじゃない、と頭ではわかっていますが。
クスコのおじさんにしても、騙そうという感じではなく
組んだ相手がモグリの素人だから、こういう結果になる。
ペルーの政府もさ、観光でしか(と言ったら失礼ですが)収入源が無いんだったら
そういうところ、取り締まって向上していかないと、この国いつまで経ってもこのままだよ。

ようやく来たモグリ業者の◯◯さん、さあ、バスのチケットを買いましょう、とか
言うから、ふざけんな、と。
私はもうクスコでまとめて支払いしてるの。
一番早く着いて、快適な一等のバスの一人席を今すぐ取って!
と、ガーガー言って、チケットを無事受け取ったところで別れました。

バス会社のカウンターの中でそれを見ていたメンズが
「この中国人はずっと怒ってる。悪い女だ」とか言ってるので、いろんなことにまたムカつく。
だから私、こんな怒りたくないんだってば。
けどすっかりキレキャラやし、もういーや(笑)
「怒っててごめんなさ〜い。買ったチケットをなかなかもらえないからぁ〜。悪いことねぇ〜。」ってもう、キレッキレで言ってやったぜ!

怒って血が上ってたから、、、バスセンターでの晩御飯はお肉。単純な私。。。

けどこんなに付け合わせのバナナも芋もいらーん!
半分くらいは食べきれなくて、お持ち帰りにしてバスの中の夜食にしました。

因みに、バスセンターはWi-Fiが無いと書きましたが、
バス乗り場(チケット持っててターミナルの使用料を払った人だけが行けるエリア)だと
Wi-Fi付きバスがいれば、それから飛んでくる電波を拝借して通信できます。
プーノバスセンター豆知識。

こうしてペルーを抜けるべくタクナに向けて出発。
明日は国境越えです。


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夢のスタート的南米旅行:8.なんともジブリなマチュピチュ編。

この日のテーマソング 姫神 "神々の詩"

アルゼンチンのけっこう端っこにある空港で整ったWi-Fi設備と充電デスクに
満足しながら旅のまとめをやっているニイナです。
エル・カラファテという空港でして、中は暖かく見える景色も素敵。
が、 ここパタゴニア地域はいつもどこも風が強い。
空港までの送迎バスを降りてから、建物入るまでの間に
スカートヒラッヒラで周囲の皆様にはお見苦しいものをお見せしました。。。
(黒スカートに黒タイツですから!)

さて。
10月18日にクスコの空港でアメリカ在住の友人と待ち合わせている私は
17日に先にクスコに到着して一泊して彼女を待ち構えるべく
飛行機でブンブンとパラグアイのアスンシオン→ペルーのリマ→クスコ、と来た
。。。はずだったのですが。

リマの空港で見つけた、小さなお部屋なお土産。

いきなりクスコに着陸できないトラブル発生。
そもそもクスコは標高が3400mと高いところにあり、
周りもずっとアンデスの山々に囲まれていて霧が発生しやすいみたい。
有視界飛行(管制塔指示による着陸じゃなくて目視での着陸)の為に、
ほとんどの便がお昼過ぎまでに到着するように設定されているみたいです。多分。
で、15時半時着予定 というアビアンカ航空 AV843便は
1時間弱の通常の飛行の後、
最初は着陸できないということで、クスコちょっと手前上空をぐーるぐる。

ぐるぐる中でも見える景色が綺麗です。

1時間ほど上空ぐるぐるをして、なんとか着陸したものの、
今度はアビアンカが使えるゲートが無い、ということで、
1時間ほどしたら(その間飛行機はもちろん降りられない)
リマに戻ってしまいました。。。
オーマイグッドネースっ!。。。と叫びたいのは山々でしたが
他の乗客はみんなため息だけなので、ね。みんな大人やん。。。

リマの空港は無料Wi-Fiが1日1時間までしか使えないことがわかっていたので
到着後に2時間分の有料Wi-Fiを購入し、明日クスコで待ち構える予定だった友人に
連絡をしたりしつつ。

その2時間の間に、飛行機の振り替え手続きと、おそらく今日飛ぶことはないから
今夜のお宿の確保をしなければなりません。
格安チケットだし、通常、天候理由の場合はホテル代の請求まではできない、
とか聞いたこともあるのですが、飛行機の中のアナウンスで
「アビアンカ航空のミスで」っち、はっきり言ったもんねー!(スペ語なのでわかる)
カウンターで、「最も早く行く便の手配と、それが明日ならホテルもお願いします」と言ったら
乗客ほぼ全員そう言うらしくて、さっさと手続きしてくれました。
Wi-Fiはリミットぎりぎりでしたが、繋がってる間に手続きできたので、友人に連絡して、と。
しかし、今までの飛行機旅行で、ロストバゲッジも着遅延も経験がない私。
ちょっとドキドキしました。。。

その日、他の乗客とともに連れられていったホテルはリマの街中にあるシェラトン。
クスコの予約していたホテルよりレベルは高いし、
夜の道だけど、リマの街が少し見れて良かったです。

翌日の飛行機は乗ろうとしたら、オーバーブッキングで
ビジネスクラスにアップグレードしてたし。
やっぱこういう時、一人旅なのは当たりやすいですね。
(私、クレームつけん態度のいいお客だし/笑)

で、2度目のクスコ。今度は着陸してゲートも通れました(笑)
到着して荷物レーンが到着出口の外にある、変な空港なので
ゲートを出てきたところにもう、マチュピチュ行きを案内する旅行会社のカウンターがあります。

そこで、取ってきた荷物を置いて、マテ茶をいただきながら待ち合わせの友人を待つ。。。

コカの葉とそれにお湯を入れてのマテ茶。
ついでにマチュピチュの後に友人と別れた後に行く、チチカカ湖へのツアーと
その後チリ方面に抜けるバスの手配もお願いして、と。
これが間違いだったのですが、そんなことはここでわかるはずもなく。。。

約2時間後、くらいかな?
友人の乗った便が到着しました。
彼女とは、以前、グアテマラから帰る途中に立ち寄ったNYで会って以来の再会です。
彼女は航空業界にお勤めなので、こんな突発的な二人旅も可能です。
二人分のマチュピチュへの移動手段を申し込みました。

クスコの街でご飯を食べたりしつつ、ツアーというかセットのピックアップを待ちます。

クスコのセントロは中性な雰囲気の中にインカの遺跡も入り混じっている街。

クスコから乗合タクシーといった感じの車で1時間ほど離れた村へ。
写真がないのが残念!ですが、車窓から見える景色が、超トトロ。
アジアっぽい田舎ののんびり風景です。

到着した村のオリャンタンタイボ駅というところからは
列車でマチュピチュ村に向かいます。
とりあえず列車に乗っていければいいね、で申し込んだセットだったのですが
人気のビスタドーム、という軽食などのサービスもついた車両でした。
因みに、二人とも中型ゴロゴロを引きずって荷物制限にビビっていましたが何もお咎めなし。


1時間半ほどの列車旅です。

温かいキノアのパイでおやつタイム。

列車から見える景色がだんだん山っぽくなってきました。

マチュピチュ駅到着。

到着したマチュピチュ村は、、、完全なる温泉地の風景。

温泉プールもあります。(翌日、水着持参で行きました)

村は千と千尋の神隠しの世界です。
九州出身の私達は「湯布院やね」と。。。
お宿に着いた後、一休して晩御飯を求めて散策。


とりあえず再会の乾杯はペルーやチリの代表カクテル、ピスコ・サワーで。


翌朝。
早朝はたくさんの人が行くだろうね、、で少しピークの時間を外して
7:30のバスに乗って、マチュピチュに向かいます。

入場したら、、、後はただひたすら
言わずもがなのラピュタな景色の中を歩きます。
ちなみに、人気のワイナピチュ登山ですが(↓この後ろの山に登る)
この日はこの時間でも十分入山出来そうでした。
と、いうより見た目にきついからか、
全然登ってる人を見ない。。。もしくは入場制限はかなり緩いのかしら。。。
 
アルパカ殿!リャマ殿なのか?わからん。というかもののけ姫のシシガミ様っぽい。


けっこう南国ちっくな花も多いのです。





ちょっと、、、登山家っぽく見えるような・・・ごめんなさい、調子に乗りました。
ワイナピチュ登山を早々に諦め、山ガールにもなれていない私(笑)


雲の中にいる、と思っていましたが。

この後に降り出しました。

広いように思えますが、2時間か2時間半もあれば全体をちゃんと見ることができました。

昼からはマチュピチュ村に戻って、散策しながら温泉に行ったり、
それぞれマッサージに行ったり洗濯屋さんに行ったり、ご飯食べたり。

なんかかわいいインカシリーズ。

観光地でもゴミの分別が少ない南米ですが、ここは分別カエルさん達がいます。

 
ペルーも肉と魚の王国ですが、リャマやクイっていうネズミ?か何かのお肉だったり、
魚はマスが有名だったりで、ちょっとペルーの内陸独特な感じです。


翌日の朝、クスコに戻って別れるまで、二人でたくさんの話をしました。
私達はいつも、どちらかの人生の岐路の時に必然かのごとく会える機会があります。
普段から、同じアメリカ大陸在住組なのでよく電話で話しているのに
ずっとひたすら喋っています。
中学生の放課後の教室みたい。
距離感が合う女子同士の旅ってこれがいいよねぇ。。。
今回はたまたまマチュピチュだったけど、次はどこでいつものくだらないバカ話をしようかな。

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夢のスタート的南米旅行:7.見過ごせないパラグアイ編。

パタゴニアのどこまでも広い地平線の中を走りながら、書いていますニイナです。
普段、日本以外でバスの中でパソコン作業をすることはありません。
街中を走っているバスとかだと、襲われたら一発で終わりなので。。。
が、こんな何もないところ、バスが襲われることも無いのでしょう。
通路を挟んだ隣の席の人も、パソコンを広げています。

因みに、アメリカや中米ではwifiのあるカフェでよくパソコン作業をするのですが、
今回の旅、特にペルーヤチリなどでは絶対に外でパソコンを出していません。
だって、、、カフェやバスセンター、空港とかで、パソコン広げている外国人が一人もいない。
なので、今回は同じPC(Macbook Air 11インチ)を持ってる人に、私の可愛いマッキャーナちゃんを見せてふふ〜んと満足感に浸ることは皆無です。

さて。今回も移動の忘備録です。
とりあえずの移動ばっかりが多い、今回の旅。
またしても、イグアスを見終わってバタンキューして起きたその三日後には
ペルーのクスコで友達と待ち合わせってことで、
とりあえず朝一番に、パラグアイに抜けるバスに乗るべく、
朝6時半くらいにホテルを後にしました。
何もチケット買ってないんですけど、パラグアイの首都、アスンシオンという所まで行けば、
バスか飛行機かなんかあるでしょ、と思いまして。

プエルト・イグアスの町からアルゼンチン側のイグアスの滝に行くバスを運行している、
リオ・ウルグアイ社が、パラグアイのシウダー・デル・エステという街までのバスを運行しています。
パラグアイに行くのにウルグアイ。。。ややこしや。
国内同士で乗車時間も短いイグアスの滝までが片道65ペソに対して、パラグアイ行きは35ペソ。なんだか、外国に行くのかよくわからん感覚です。

集めた情報によると、シウダー・デル・エステは秋葉原のような電気街らしく、
アルゼンチンやブラジルからも多くの人が来るらしい。
市場が発展するのはなんともザ・国境の街ですね。

というわけで、バスは路面バスのように多くの地元ィが乗っています。
バスは一度、ブラジルのフォス・ド・イグアスという街を通ってからパラグアイに入ります。
なので、アルゼンチンからブラジルに抜けるときに、バスの中の人全員がアルゼンチンの出国と通関をします。
そのまま、フォス・ド・イグアスの街を30分くらいで通り抜けて(降りられません)
ブラジルからパラグアイへの入国となります。
ここで地元ィの皆さんは、何もしなくていいらしいのですが、
私はパラグアイの入国手続きをしなくてはなりません。
なので、運転手さんにその旨伝えておき、国境で降ろしてもらいます。
手続き30秒で終わったけどね!
一人だから、運転手さん待っててもくれないし、でかなりの雨まで降ってきた〜(泣)

国境を抜けた先に通関があるらしいのですが、誰にどう尋ねても
どうやらそれはスルーしていいらしい。緩いな。
で、ふっかけたタクシーなんかにイライラしながらも、バスターミナルまでアルゼンチンペソで行ってもらう。
(実際に乗ったときのアルゼンチンペソがいくらか忘れましたが、最初の数人のタクシー運転手はみんな10000グアラニーで言ってきたので、暗黙のルールがあるみたいです)

バスセンターではアスンシオン行きのバスがいつでもたくさんあるみたいで
呼び込み合戦もすごい。
ここでは両替屋さんのカウンターがあるわけではなく、
カバンを持った両替おじさんに頼んで両替します。
パラグアイは通貨の予定なので、米ドルからとりあえず40ドル分ほどを
パラグアイの通貨のグアラニーに両替しました。
さて、すぐに出る60000グアラニー(1000円ちょっと)のサン・ルイス社のに飛び乗って、と。


日本人居留地などを通り過ぎつつ、のんびり道を5、6時間走ります。
道はひたすらまっすぐです。



空港に行ったら、何かチケット見つけられるかも〜、と思ってバスの運転手さんに
空港に近いところで降ろしてもらうように頼みます。
アスンシオンの空港は、アスンシオン市内ではなく隣の(通り道の)ルケ市にあるらしいのでね。
降ろされたところから、周りの人に尋ねて2番という路面バスに乗ってひたすら1時間くらい、で空港に到着しました。

が、ここで、、、。
リマにその日に向かういい感じのチケットはネットでは見つからず。
LANTAMエアはばか高いし、日によってはアビアンカ航空でいくつか便がありそうですが。。。
なのでアビアンカ航空のカウンターで尋ねようとするも
アビアンカはアスンシオンの空港にカウンターを持っていないので、
深夜便が出ることにならないと、人が来ない、、、。

と、いうわけでその時に確実に買えてしかも安い
(と言っても当初考えていたより全然高い/泣)チケットは二日後の早朝のみ、だったので
それをネットで押さえて、二泊分の宿を探しに、アスンシオンに30番の青いバスで向かいました。

バスの運転手さんに、とりあえず地球の歩き方に載っていた、日本人宿、
というより日系人の方が経営されている大きなホテルの所在地を伝え、
そこに近いところで降ろしてもらうように頼みました。

はいはい、と言ったおじさんですが、、、何にも言ってくれなかった〜!
まだ明るいうちにバスに乗ったのでどこを通っているかは、
外の建物に貼ってある通り名を見ながら途中まで大体把握できていたのですが、
そろそろかなー、というところで何も言われなかったので、
まだもっと近いところも回るんだろうな、と安心していたら、、、終点。

もう周りは暗いし、自分がどこにいるかわからないし、
思いがけずに居ることになった街でこれかよ、的な悲しさもあり、
しかもパラグアイのスペ語がこれまたみんな、中国語みたいに聞こえて
何言ってるかさっぱりわからん。
で、「ここどこやねーん!私はペティロッシ通りで降ろしてって言ったら、
わかった、教えるっていったじゃない!ここはどこなんだよ〜ぅ!!!」
と半泣きで猛抗議。

「ま、心配すんなや」と、言われそのおじさんが次に回るルートにそのまま乗り、
「ここが一番近いよ」って言われて降りたところは、、、。
暗い!何にも無い!
しかも、私の暗い中でも必死に地図で追ってきた情報によると、
危ない市場の付近じゃないかい??

近くのガソリンスタンドに行って、ホテルまでの行き方を尋ねると、
近いけど、危ない市場を通らないといけないからタクシーを使って行ったほうがいいよ、と。
やっぱり。。。
そんなこんなでちょっと怖い思いをして、タクシーでようやっとホテルに到着したのでした。

ホテルは日系の内山田さんが経営されている、ホテル内山田。
大きな建物で、中にはすきやき、という名前の日本食レストランもあります。
このレストラン内で内山田さんが、いらっしゃいませ〜と経営者自ら接客なさっています。
ここがまた美味しかった〜ん!
久々の白ご飯にテンションダダ上がりです。

一人焼肉は昔、高級飛騨牛のお店でしたことあるけど、、、。
人生初一人すき焼き。美味しいから寂しくてもいいの。



翌日は1日ホテルでネットで情報収集、、、と思いきや
つけたテレビでアメトークとかしよるやん?
しかも福岡屋台大好き芸人とかしよるやん?
ここは天国か。(と言って作業は進まない/笑)

ホテル内山田は朝ごはんも美味しい和食がお腹いっぱい食べられます。

午後に少し、両替をする為に外に出ました。
ホテル内山田は現金払いだと10%の割引があるのです。2泊分は大きい。

日曜なので、銀行は開いていないので、バスで少し離れたショッピングモールに行きます。
モールにはおしゃれなお店もたくさんあり、かなり都会の印象を受けます。

なんとなく、ふくよかなマネキンが多い気がするのは気のせいでしょうか。


よその南米の国でも多くあるマテ茶(コカの葉のお茶)のポット屋さんとマイマテ茶ポットを持ち歩く男性。

ボリビアとかでは葉っぱを直接口の中で噛む人や、
チリなどではマテ茶専用湯のみで飲んでいる人が多かったけど、
パラグアイやアルゼンチンはポットで持ち歩く人が多かったです。

さて。教えられた付近はモールの建物がいくつかあり、それぞれに両替屋が入っていたり、
近所の路面にもたくさんの両替屋や銀行があります。
けどどこも閉まってる、、、と思いきや、マリスカル・ロペス、という建物内にある
ちゃんとした両替屋さんが21時まで開いています。
ちゃんとした、っていうのはパスポートの提示を求められ、
渡す外貨の確認もちゃんとするっていうことなんですが。
ここで持っていたアメリカ100ドル札にホログラムが無い、とかで拒否られる。
オウノー。偽札持っとったんかい、私。

また違うバスに乗って、とぼとぼ帰る私。
今回はバスの運転手さんが、ちゃんと降ろしてくれて、そこからも何人もの人が道を教えてくれました。

基本的にパラグアイは、日系の方々に慣れていることもあるのか、私にも優しい。
道を聞けば必ず間違っていたり、いつの間にか尋ねた人がいなくなってるメキシコとかと違って、
◯ブロック先、とかの数字も正確だし、
向こうからはぐいぐい声はかけないけど、困ってこちらから聞けば最後まで丁寧に教えてくれます。
が、中国語に聞こえるスペ語っていうのが私にとっては問題でしたがね、、、。

ホテルで聞いたら、米ドルでも現金割引が可能、とのことでしたので
米ドル札でお支払いしました。
それにしてもこのホテルの従業員さん、みんなむっちゃ親切。

さて、おつりで現金も持ってることだし晩ご飯でも食べようと思ったら
外は真っ暗。日曜だし、開いているお店がそもそもない。
この国、首都の街中でこれって大丈夫?と思いながら、数ブロック歩くと、、、
韓国料理のお店が開いていました!
この国は韓国からの移民も多いそうです。

出た。グアテマラで飲んでいたBRAHVAと勘違いしてキューバで飲んだBRAHMA。
調べたらBRAHMAはブラジルのビールらしく、
さらにコロンビアにも赤い見た目のBRAVAっていうのがあるらしい。
えーと、じゃぁ、、、このBRAHMAと酷似したBRAHVAは一体なんだったんだ。誰か教えてください。


帰りは通りの商店などに少しは電気がついていたので、おそらく一時的な停電だったのか、と。
昼間に見た都会っぷりと比べて、道路もガタガタだし、
インフラの整備の悪さが気になりました。
しかしこの国の人にとっては、道はガタガタでも歩けるから問題無いのかもしれないし
暗くて危な気なところは自ら近寄らなければいいだけな話なのかもしれません。

翌早朝。呼んでおいてもらったタクシーで空港に向かいます。(12000グラだったかな?)

タクシーのおじさんによると、この国は大して自然資源も持っていないけど
商業だけで潤ってきたし、みんなが豊かなんだよ、と。
あと、普通に日本車も多いのですがこれらはほぼ、日本からの輸入なんだそうな。
へー、てっきり南北アメリカ大陸での生産分かと思いきや、日本から太平洋を渡って
チリや自国で右ハンドルを左ハンドルに変えて販売するのが一般的らしい。

そういやボリビアとか、いろんなところでも車事情を尋ねたのですが
どこでも似たような答えでした。
地域によっては、ヨーロッパ車の割合が高くなるのですが、それらもヨーロッパからの輸入が圧倒的に多いそうです。
じゃあ、メキシコやアメリカやブラジルで生産している車って、、、誰が買ってるんだろう?

と、今までメキシコで関わってきた業界に少しだけ考えを巡らせながら、パラグアイを後にしたのでした。

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