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ニイナさんの海外転職レポ

お金、コネ、専門技術、語学力、彼氏、全て無し!の33歳独身女性が体当たりで始めた海外転職活動と@ラテンアメリカのリアルなレポート。語学留学と就職を決めるまでの第一章、メキシコで就職して驚きの連続の第二章。目指した業界に転職しての第三章です。

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お久しぶりの日本の生活。の前にテスト。

とんでもなくお久しぶりのニイナです。
1年半くらいぶりでしょうか?

その間、国内旅行もしていたし楽しく生きていたんですが。
あんまりネタが無いわねぇ、と思ってブログを何も書いていなかったのですが
ありがたいことに相変わらずブログ見ました!っていう方や
海外で働いてみたいです!っていう方からのお声も多少なりといただくので
ちょっとずつ次のステージへの(心の)準備も始めたところだし
また書いてみようかな、という気になり、筆を取りました。
いやキーボードを叩いてみました。

が、そもそも放置しすぎててまだアカウントあるんかいな、と
心配になったので、今回はテストだけ。
ぼちぼち思い出しながら、旅行のこと、だけでなくて
本帰国した後の仕事探しやら何やらのこととか、思うことを
綴っていこうと思います。
ではHasta pronto(またすぐに会いましょうのスペ語。)

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コロナ禍の本帰国4:帰国者ルールに則った自宅までの道のり後編

日本に帰ってきて1ヶ月以上経つのに、未だ浦島太郎的な驚きがあるニイナです。
だって!晴雨兼用の折り畳み傘の小ささとかさ!
メキシコじゃまずお目にかからないような高レベルのデザイン・品質のものに溢れているので、たまに外出した日には、ずっとマスクの中で感嘆の声を上げ続けています。

さて。アメリカ経由で羽田に到着して蒲田のホテルで3泊ステイして移動の準備が完了したところまではこちら
本帰国3の前編にも書きましたが、日本に帰国(到着)してから2週間はコロナ陰性でもなんでも国内線・タクシー含め、公共の交通機関に乗ることなく自宅かホテルに行けよ、っていうのが国のお達しです。
羽田空港から福岡の実家に帰る私の場合は、シェアライドのサービスで首都圏から福岡方面に行く人を見つけて、その方との集合するまでは羽田近くのホテルに滞在し、そこからレンタカーで集合場所である湘南エリアに向かう、という計画です。

羽田に到着してその夜から蒲田のホテルに3泊した土曜日の朝。
湘南エリアでの集合は夜ですが、10時までにチェックアウトしないといけないホテルだったので、スーツケースを預けて歩いてレンタカー屋さんに向かいました。


途中で神社があったので寄り道。
メキシコのレオンからここまで帰ってこれたことのお礼を言って、実家まで無事に帰れるようにお願いしました。
コロナでお手水は使えないのね。。。
ご朱印帳はスーツケースに入れっぱなだったので諦めました。


レンタカーの予約は前日夕方に電話予約しました。
(まだ日本の携帯番号がないのでskypeで発信)
と、いうのものらりくらりしていたら、どこのサイトでも貸し出し可能な車両がありません、とwebで予約ができなくなっていたためです。
これには焦りました。。。
土曜に一台も無くなるってさすが東京はみんな車は持たずに借りるものなのかしら?!と。

集合場所近くにも営業所があって乗り捨て可能なレンタカー屋さんの一件に電話したら、ありますよー、と。
良かった!帰れる!
しかし高い!
40キロ先に行くためだけに軽借りるの(13,000円ちょっと)が、当初買ってたレオンからダラスに行くアメリカンの飛行機のチケット(12,000円ちょっと)より高いと思うと、レンタカーを借りるのを前日まで動いていなかった自分が悔しい限り。。。
まぁ、借りられるだけ、家まで帰れるだけありがたいことですね。
(因みにこの頃の帰国者の王道ルートの成田からハイヤーで都内に移動は3万円でした)


到着したレンタカー屋さんはやはり日本の大手の会社なだけあって、素晴らしい対応です。
というか、メキシコからきたら全ての店員さんが神対応に思えるけどさ。

そこから久しぶりの日本での右ハンドルの運転です。
自分でもかなり心配していましたが、なんとか前の人と同じように走っていれば車線からはみ出ることもないし。
横浜過ぎるくらいまでずっとウインカーと間違えてワイパー動かしていましたが、それくらい誰に迷惑かけるでもなしなので、なんとかまともに走っていたと思います。

スーツケースをホテルに取りに行き、改めて出発したはいいけど、朝ごはんを食べていないし、夜まで時間もあるしどうしようかなー。。。
とりあえず、もうお昼近いし道沿いで入りやすそうな、そしてずっと食べたかった回転寿司で朝ごはんです。

前回の帰省の際に、回ってないこととロボットによる席案内に驚いた回転寿司。


前夜に調達した1ドルwi-fiでナビを使いながら、道すがらにあって、一人でお散歩できる観光地に寄って行く事にしました。

横浜くらいで車の運転にも慣れてカーステのラジオをつけたら、期せずして福山さんのラジオが始まったところでした。
もう15年くらい生で聴くのは離れていましたが、久しぶりに聴くと、その時のトークの内容も相まって「おかえり」と言われているような気になり(←妄想ですが。)しみじみ日本に帰ってきたことを実感して涙が出てきました。


寄り道一ヶ所目:鎌倉の大仏様。に会った瞬間に、20年くらい前にもバイク旅で来たことを思い出しました。


思ったより人は居る。しかも外国人多数。この人たち、どこから来たんだろう。。。



二ヶ所目:江ノ島。

参道。密。

由比ヶ浜にもむちゃくちゃ人が居ます。え!密じゃん!!
わからん、首都圏じゃこんなの全然少ない方、、、なのか??
江ノ島もこりゃまた外国人も大量に居るし。
本気で今日はお祭りですか、花火大会でもあるんですか、と案内所の人に聞こうかと思ったもんね。。。


まずはここから。江ノ島は大好きな宗像大社と同じ三姉妹の神様のそれぞれのお宮があります。

とは言え、一人でウロウロする分には誰に迷惑をかけることもかけられる事もないので、黙々と江ノ島の中の神社をお参りしながら、江ノ島を堪能したのでした。



江ノ島をぐるり一周。4ヶ月以上引きこもっていたのでこれくらいの散歩ですぐに足が痛くなる。こりゃいかんばい。


と言いつつ名物でずっと憧れだった生しらす丼!!釜揚げとのダブルにしました。


そうこうしているうちにいい感じの時間になったので、銭湯(ギャル多し)に行って、スーパーで買い物をしてから、レンタカーを返却して大きな荷物と共に集合場所へ。
知らない人の車の中でお腹が鳴ったら恥ずかしいなぁ、と思って集合場所近くで軽くお蕎麦の晩ご飯を食べる。
大きな荷物をガラガラ引いているのを見てか、見た目チャラい店員さん(店長さん?)がどうぞお気をつけくださいね、と心配してくれる言葉にも感動する。

帰ってくるまで、日本は帰国者に冷たいらしいし、ルール守らんと叩かれるし、困ってる人を知らんぷりの国だし、と怯えていたので、所々で日本人のあたたかさに触れて心がじわじわ解凍していく感じです。

集合場所では私の他にもう一人の途中までドライブ参加の方も乗って、ドライブ主催者さんの彼女さんも含めて全員で4名での出発です。
乗った瞬間からお茶いるね、とかアメリカの空港で買ったものですがミントタブレット目覚ましにどうぞ、とか、世話焼きおばちゃんと化す私。。。
いや、シェアライドの作法とか乗ってる人と話したりするのかな、とかいろいろ謎でね。


このシェアライドのサービスについて詳しく書こうかとも思ったのですが、ちょっとグレーゾーンでもあるのかなぁ、と思って実名は控えておきます。

例えば、AirBnBとかUber(日本ではeatsしかないですが)とか。
サービスを提供している人に直接じゃなくて、システムにお金を払うサービスは、サービスを提供している人の情報やレビューがよく載っているので、安心して使えます。
私もよく使ってきましたが今までに一度も問題に遭遇したことはありません。
逆にメキシコではサービスを提供する側としてロコタビ(トラベロコ)なども利用しましたが、これもシステムが介入しているので、まぁサービス利用者がどんな人かわかっているという点では安心といえば安心です。

今回のこのシェアドライブのサービスはドライブする人と、それに便乗したい人のマッチングを提供しているだけです。
お金の支払いや交渉は利用者間でのやり取りになるので、トラブルとか無いのかなーとちょっと心配。
あとは、女性一人だったら男性ドライバーの車はやっぱり怖いです。
私も最初は利用するか悩みましたが、事前のやり取りでドライバーさんがしっかりした感じの方だとわかったので便乗をお願いしました。
まぁ、何かあったところでメキシコにいた身からするとなんちゃないはず、と開き直っていた部分もあります。
もうちょっと安全なシステムになって世間に広まってくれることを願うのみです。


日本はお盆休みに入る週末で、でもコロナで高速道路の混み具合が全く予想できませんでしたが。
夜の出発ということもあり、混むこともなく安全運転でスイスイと走れていました。
が、途中寄ったサービスエリアはどこも満車に近く、帰省せざるを得ない人たちが夜にかけて移動しているんだろうなぁ、という感じでした。

トイレ休憩で寄ったSAで桃太郎さんご一行と。


朝ごはんに帰国後初の吉牛。


思ったよりもスイスイ走れ過ぎて、出発して9時間ちょっとで広島まで来ました。
朝になってもう一人の参加者さんが途中で降りた後は、北九州の実家に一番近いサービスエリアまで、ドライバーさん達とワイワイお話ししながらノンストップで走りました。
礼儀正しい若者達でとても楽しいドライブができたことに感謝です!


ドライバーさんカップルと。 最近のチェキってもうチェキを超えたねぇ。。。


サービスエリアでは連絡しておいた父が待っていてくれました。
そこから車で自宅に向かい、結局、湘南エリアを出発してから13時間後には家に着いたことになります。早い!
メキシコの家を出てからは丸1週間ですが。
ようやく帰国難民、日本の自宅に帰り着きました!

遅くなりましたが、帰国に際してあれこれ思うところもあったのでその辺りもボチボチ上げていきます。

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コロナ禍の本帰国4:帰国者ルールに則った自宅までの道のり前編

日本帰っても相変わらずのんびりし過ぎてアップが遅くなって申し訳ないです、ニイナです。
帰国者を取り巻く状況も日々変わっていくので、
あまり役に立つかわかりませんが、とりあえず現時点でも
入国ルールは(意味があるのか謎なルールではありますが)
変わっていないので、私のパターンを引き続きお伝えします。



羽田空港での検査で陰性が出てから周回バスで
蒲田駅近くに下ろしてもらったところまではこちら
17時過ぎに着陸した便で20時過ぎに羽田空港を
発車したバスでしたが、荷物が大きくて重たい私は
下ろしてもらったところからホテルに着くまで一苦労。。。
これメキシコならどこからか男性が集まって(道も知らないのに)誰かしらが声をかけてくれて手伝ってくれるのが当たり前なので荷物運びに苦労するなんてことは無いのですが。
(下心も何も無い人も多いのですが、親切にしてもらったら明らかに身なりの良い人以外には後からなんとなくチップをあげる。)

ここは日本。

街角の広場にたむろってビール飲んでいるいかにも蒲田なおじさんが唯一「手伝おうか」と言ってくれただけでした。
(そしてそのおじさんが下心ありそうに見えるのでお断りする。ごめん、おっちゃんw)

そうしてなんとか到着日の21時過ぎに蒲田のホテルに入りました。
ホテルでは帰国者か聞かれて、隔離者専用階での滞在になりました。
陰性で自腹でお金も払うのに、この階のお部屋では連泊でも掃除も入らず、朝ごはん付きプランは使わせてもらえません。
ホテルのレストラン使ってはダメだけどその分、外に買いに行けっていうのは隔離の意味って何だろう?と改めて思いつつ。
私は偶然にも交通手段を確保して3泊でチェックアウトだから耐えられたけど、2週間の滞在を強制されている帰国者にはこれ辛いなぁ。。。

幸い(狙ってたんだけど)ホテルの周りは居酒屋だらけでコンビニもあるので遅い晩ご飯を調達に出ました。
まずびっくりしたのが、え、日本、こんなに普通にみんな歩いとって大丈夫なん?
道に客引きもいっぱいいるし!
居酒屋、普通にみんな座って大きな声で話してるし!
ということでした。

いや、そりゃ満席とかにはなっていないんでしょうし、大人数での会合はしていないんだと思います。
飲食店の方は売り上げなど数字で言ったら、こんなの全然少ないよ!という状況であることはお察しします。

でも、メキシコとアメリカで人がグッと少ない状況に慣れていたので、日本での人との距離感と密度っぷりに本当に驚き、怖くもなりました。
結局、日本到着後の最初のご飯には、近所の銀だこをテイクアウトで買って、コンビニでビールを買ってホテルに帰りました。


たこ焼き、シュークリーム、スーパードライ。日本食欲爆発。


その後の二日間、近所にご飯を食べに出る以外はホテルの部屋でひたすらネットで情報を集めたりしていました。

 
朝兼昼食を食べに入った定食屋でビールを飲む。平日でサラリーマンの方もいるのにごめんなさいね。。。と思ったけど、さすが蒲田。私以外の人も何人もビール付属ってかビールがメイン(笑)


それと荷物もホテルでダンボールを買って一箱買ってクロネコヤマトの宅急便で福岡の自宅に送りました。
今回の引越しを兼ねた帰国は、
スーツケースは大が一つと機内持ち込み用の小が一つで
もう一つの預け荷物は変形自在な超巨大なナイロンの
ボストンバッグ(スタイリストバッグっていう形らしい)で
レオンの自宅から乗り換えの度に大変な思いをして
引きずりながら移動をしていたのですが、ここで力尽きる。。。
25キロ減らしてもまだ40キロくらい持ってたことになるんですけどね。
やはりバッグがなくなると動きやすそうです。

 
蒲田の街を歩きながら自分の格好は日本では浮いているのでは?という気になりユニクロに今の流行を調査に行く。最前線の服を魔女の宅急便か麻原◯晃にしか見えん、とか思ってる時点で日本の流行についていくことは完全に諦める。


一度、ご飯を食べるついでに手持ちの日本円が無かったので両替に行きました。
メキシコペソは日本では両替できるところはほとんど無いし、出来ても紙くずのようなレートでしか無いので、一時帰国の時も必ずアメリカドルを用意します。
今回は手元にあったメキシコペソは奇跡的に最後の1ペソまでレオンの空港で使い切れましたが、日本円をほんの少ししか持っていなかったので、ドルを日本円に替えなくてはです。

2月にメキシコペソが大暴落してからはアメリカドルに替えることもしていなかったのですが、帰国前にアメリカドルに替えておこう、とほんの少しでも持ち直したタイミングでチビチビと両替して持っていた、ドル現金の内の少しを両替えすることにしました。
(少しなのはドル円のレートも悪いので。)

まぁ、後から友達に教えてもらってわかりましたが、ここまでしなくても日本のコンビニATMでメキシコの銀行のデビッドカードで向こうの口座のお金を日本円で少額ですが引き出すことができるのでそれでも良かったのですが。
なんせメキシコのカードなんて、ね。
いつ使えなくなってもおかしくないくらい、信用のないものですから。
日本はお金を持ち歩いたところで、メキシコみたいに盗られる心配は少ないので、現金で持って、替えられるところで替えておけばその方が安心です。
利用したのはJR蒲田駅の反対側にある質屋さんとpocketchangeです。

このpocketchangeという機械。
以前、福岡のparcoでお見かけした時には使い方がさっぱりわからず退散したのですが、
今回はネットで使い方をよく確認して行ったので、バッチリ使えました。

すっかり浦島太郎なもので、日本のなんとかpayとかポイントとかが
ちんぷんかんぷんで、福岡ではお恥ずかしながらの退散でした。
どうやら外貨(メジャーな通貨だけ)を日本円「のポイントに」両替してチャージしてくれる機械のようです。
なんと硬貨もいける!(取扱い通貨の中でも一部の通貨だけです。)
交通系カードにもチャージしてもらえるというのは分かったので
これなら2週間後に交通機関に乗れるようになった時には
使えるじゃない!nimocaでねっ!(←pasmoの福岡版)
この機械、素晴らしい!これ福岡にももっと増えてくれたらいいのに。
(九州全体で4台しかない)

なので余っていた小銭と小額紙幣は機械で全てnimocaにチャージしました。
pocketchangeは便利な分、レートが悪いのであくまでドルの小銭をなくす目的です。


同じ日に質屋さんでは1ドル=105円ちょっとくらいがpocketchangeだと1ドル=89円くらい。でも小銭スッキリな上、nimocaのチャージが増えるわけだから御の字です。


早い時間で人が少なそうなので入った天ぷらが美味しい居酒屋さん。先客のおじ様二人組に「(二人の)真ん中座る?」から始まり、じゃんじゃん話しかけられてメキシコ話で盛り上がり一杯おごってもらう。蒲田にはソーシャルディスタンスは存在しないんだな、と悟る。


そして今回の移動で見つけた便利ツールがもう一つ。
前回の帰国くらいから使ってはいたのですが、データだけのeSIMです。
特に前回の一時帰国はついでに韓国と乗り換えでハワイとアメリカ本土にも寄ったので、世界共通で使えるプランで、3香港というキャリアを使っていました。
今回は日本でだけ、それと日本の携帯番号を持つまでの期間を使えれば良かったので、何かないかなと探したら、以前よりキャリアの選択肢が増えた実感がありました。
そして今回使ったのがRedteaGoというキャリアの一つの国で使える初回お試しプランです。

なんとたった1ドルで1ギガを15日間使えます。
1ギガですが、ホテルを出た後は福岡の自宅にさえ辿り着ければ
2週間家に閉じこもらないといけないので自宅のwi-fiで済むので十分です。
残り容量もアプリで管理できるので楽でした。
初回限定の金額ですが、足りない場合はチャージも
同じアプリで買い足しできるので、これからの帰国予定の方にはオススメです。

アプリ画面




ホテルの近くでお肉のお寿司メインのバルで馬肉を食べてみる。メキシコ人に生の馬のお肉食べるとか言ったら日本人の印象が変わりそうなのでSNSで言うのはやめとこう。。。




ネット環境もゲットしたことだし、蒲田からいよいよ福岡に向けての移動の準備もバッチリ!
ですが思ったより長くなりましたので、今回もまた後編に続きます。



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コロナ禍の本帰国3:羽田空港後編

時差ボケが治るのに時間がかかるようになってきたニイナです。
前は太陽と同じ方向に進む移動は時差ボケもなかったのに、、、やはり年齢かしら。。。

さて、羽田空港に着陸してから、の流れです。
終わってみれば着陸からトータル2時間半での解放でした。
が、到着して初めてわかることも多々ありましたので、その辺りを覚えている限りでお伝えできれば、と思います。
(機内で配られる書類の画像などはこちら

着陸後10分もするかしないかで降りた羽田空港。
降りて最初に誘導されたのは143番搭乗口で、そこが最初の待合場所でした。
奥から順に座る場所を誘導されます。
そこで飛行機を降りた全員が集まるのを待って、また新たに紙をもらって
全員に向けてこれからの説明を受けます。

機内でもらった書類にはこれらは機内で全て記入しておきなさい、
と書いてありましたが、そこで書いている人も多くいました。

 
↑もう半分ほど呼ばれていった頃。
この時ここには同じJALのロスから到着した便の人だけがいたようです。
小さなお子様連れのお母さんが何人かいらっしゃって、大変だろうな、、、と思うのですが、今時分は飛行機は席がガラガラで一人で4席一列を使えたり、周りに人が少ない席もあるので、ある意味普段よりは飛行機に乗せることだけを見た場合にはスムーズ、、、なのかもしれません。


 
↑最初の待機場所で配布された説明書


口頭での説明では、記載事項を全部埋めるまで解放されないとのことでした。
ヤバい、早く今日のホテル取らなきゃ。。。
でもホテル行くのにレンタカー今夜は怖いからええーとー、、、
とまだどうするべきかわからないでいました。
あ、因みにこの辺は全然写真撮るな、とかの規制はありませんでした。
それと、この待合場所以降は唾液の採取が終わるまでは飲食一切禁止でした。


ここでの待機は30分弱でしたでしょうか。(←うろ覚え)
5人ずつくらい、奥の椅子に座った人(飛行機で前の方に座っていた人)から
順に次の場所(142番搭乗口)に通されます。

次の工程は検体採取でした。
ここでもまだ最初の入り口で並んでいるところなどは写真撮影禁止などの注意はなかったです。

一人の係員の人が機内でもらった書類の中の
「入国される方へ検疫所よりお知らせ」を見ながら
名前やこれからの14日間待機場所の確認などします。

が、この時点で2週間の待機場所の内、
シェアライドで福岡の自宅に帰る前までに滞在する1箇所目は
今日から泊まるホテルがまだ決まっていないので記載していませんでした。
2行目に自宅、と書いていたのでそれでokのようで、
ここではあまり詳しく場所の確認はなくても次に進めました。
この係員さんからは検尿の時に使うようなキャップ付きボトルをもらいます。
それに貼る番号が印刷されたシール、別のシールを名前など確認した書類にも貼ってもらいます。

 


次の係員さんが一人一人に口頭で、唾液を容器に書かれてある線まで入れてください、
入れるのに使った漏斗は捨ててください、という説明をします。
これビデオとかですれば、このお姉さんも何十人(1日だと何百人?)に
声を出し続けて同じ説明しなくて済むだろうに。。。とか思いながら。
そこからは各自、選挙の投票所みたいに区切られたブースで壁に向かって
容器に挿した漏斗に唾液を出して採取します。
ここも本当は写真撮影禁止などは書かれてなかったんですけどね。。。
なんとなく雰囲気でやめときました。

その投票所みたいなブースに貼ってある説明だと2回唾液を出して、
ということでしたがさっきのお姉さんの説明で言われた、
ノルマの容器に書かれてある線までは全然足りないので
ひたすら何度も壁に貼られたレモンと梅干しの写真を見ながら
酸っぱい気持ちになって唾液を出しました。

隣には一応、従来の鼻に長い綿棒を入れるPCR検査のブースも2〜3個あり
そっちは写真撮影禁止と書かれていました。

採取した唾液の容器にキャップをして、次の係員さんに
指定された量が入っているかを確認されてから次のstep3に向かいます。
ここは少し列が出来ていましたが、確認する窓口(係員さん)が
7〜8人くらいいて、どんどん捌いているようです。
ホテルがない!とかゴネている人も見受けられず、淡々とした雰囲気ではありました。

自分の番が来て、質問票について確認されます。
やはり質問票も今日のホテルが決まってないことで、
滞在地の一箇所目を記入できていなかったのですが、
あれ?なんかあまり深く突っ込まれない。。。
なので自分から、「自宅に移動するまではホテルにいます。
そのホテルまでは足がありませんのでどうしたら良いですか」
と言いました。
そこで「政府の周回バスが近隣の駅まで出ていますのでその駅近くのホテル一覧です」と
周回バスが行く近辺ホテルの一覧をもらいました。
ちなみに「駅までしか行きません」とも言われました。

とりあえず周回バスが行く駅は分かったので待っている間にホテルを決めなくては。

 
↑5月6日バージョンなのでその頃から変わらないということですね。

ホテルから福岡の自宅に行くための交通手段も聞かれなかったので
敢えて、こちらから(シェアライドと言うと説明が面倒だったので)
「3日後に神奈川県から知人が九州に行くのに便乗します。
待ち合わせポイントまではレンタカーで動きます」
と言ったら書き足す、と言った程度でした。

要は2週間どこにいるか、よりも、確認しているのは
空港から出て次の場所とそこに行く交通手段を確保しているかどうか
だけのようです。

そこからは広くて椅子もたくさんある搭乗口で検査結果を待ちます。
私がそこに到着した時は50人以上いたような気もしたので、
私が乗っていた飛行機より前に着いたであろう便に乗っていた人もいたと思います。
その部屋はwifiも繋がるし、ふんだんにコンセントもあるので携帯を充電しながら
ホテルを探しました。

私の場合、選ぶポイントは3日後にレンタカーで移動がしやすいように
シェアライドの待ち合わせポイントに乗り捨てできるレンタカーの営業所があり
そのレンタカー会社の近くであること、ホテルの近所でご飯に困らないことを
基準にまず駅から選びました。
本当は、東京都以外ならGoToキャンペーンが適用になることもあるのかな、
とか、レンタカーも同じ神奈川県内なら乗り捨て料金が高くないかな、
と思ってギリギリ神奈川県の川崎駅周辺にしようかとも思ったのですが
そもそもGoToキャンペーンすらよくわかってない私が
適用とかどうとか調べて予約して、、、というのが面倒になり。

最終的にはレンタカー会社との兼ね合いでJR蒲田駅周辺で
単純にネットでパッと見て値段は高くなくレビューの点が高い
ホテルに決めて、ホテル検索サイトから予約しました。

待ち始めてから1時間〜1時間半もかからない程度だったでしょうか。
まだレンタカーは予約していませんでしたが、自分の番号が呼ばれたので
最終ポイントに行きました。

最終ポイントでは何人か係員の人がいて、◯番です、というと
陰性か陽性かを教えてくれます。
番号が貼られた紙に陰性のー(マイナス)が書かれたシールが貼られました。
その紙に予約したホテル名を書いていたので、それをさらりと確認して次のポイントへ。
ホテルの連絡先などは書いていなくてもいいようです。

最後のポイントでは係員さんは一人で、マイナスシールが貼られた
紙を確認して、これが周回バスに乗る切符のようなものだから
失くさないように、とのことでした。
それとは別に、A6サイズのピンク色の紙をくれました。
これも多分、陰性で解放の紙なので、大事に取っておきます。



そこからやっと通常の検疫とイミグレと税関です。
検疫のところでピンクの紙とマイナスシールが貼られた紙を見せました。
イミグレ自体は自動読み取り機でしたが、本帰国なので
スタンプを押してもらうために人がいるブースも通りました。
確か、この後に荷物をもらったのではなかったか、と思います。
JALの方が綺麗にカートにまとめておいてくれました。
ここでもお疲れ様でした、と言われ嬉しい。。。

税関は普通にスルー。
ここ数年はあまり中身をチェックされることもありませんでしたが
それにしても今回は大量なのでどうかなー、とも思いましたが
全くもって何もなくスルー。
そういえば、いつもはアメリカで必ず開けられてチェックされている
預け荷物が、今回はチェックしたよの紙が入ってなかった!
いいんだけどね。ただ今回全体の移動を通して、
コロナなのをいいことにいろんなチェック機能の仕事が
なされていない気がするのは私だけでしょうか。

晴れて出口を出たところには、これまた別の係員さんがいて
今からの交通機関を聞かれます。
蒲田駅近くのホテルに周回バスで行くことを言うと
カートを押してくれて、出口近くのエレベーターまでご案内されます。
同時にエレベーターの下にいる方に、
トランシーバーで蒲田ルート一名様ご案内です、的な連絡もされていました。
えー、VIP待遇〜。
これ外国だったらカート勝手に押してチップくれ、なので
警戒するのですが、日本はそんな心配をしなくていいことにホッとします。
尋ねたところ、周回バスを運営する会社側の方なのだそうです。
そして、今日は到着便が少なかったので、待ち時間も少ないみたいですね、とのことでした。

で、エレベーターを降りたところからもまた別の方がカートを押して
荷物をバスに収納して下さいました。
そしてお疲れ様でした、と。
いやもうお疲れはあなた方の方でしょうに、、、と思いながら
バスに乗ると私一人でした。
巡回バスは1時間に一本と言われていましたが、2ルートあり
私ともう一人が乗っただけですぐに発車しました。


もう一人の方が先に降りられましたが、バスの運転手さんが
ホテルまで?か滞在先だと思いますが、道順を教えていらっしゃいました。
私はJR蒲田駅東口の近くでしたが、バスが入れないから、ということで
丁寧に道を教えていただき、荷物が重くて多いことからも
かなり心配をされていましたが、教えてもらった方向に歩き出したら
バスも発車しました。
つまり、ホテルに入るまでの監視はない、ということです。

総じて言えるのは、陰性が出てからの解放後に
公共の交通機関を使わずに2週間隔離って
言ってる割に抜け道だらけなので、逆に守っている方が
少ないんじゃないの・・?という気にさえなったんですが。。。

日本に帰って知ったことですが、今の日本ってもう
感染経路とかあまり関係ないみたいだし、、、。
そして元々、空港での検査での陽性率って低いものだと思いますが、
最近では空港での感染者数の発表すらしてないよね。。。
(つ、つまり抗原検査になってから陽性がほとんど出てきてないのでは説。。。)

だからと言って自分はこの後もルールを守って福岡の自宅まで帰りましたが。
そして暑いし自分が感染もしたくないし、さらに万が一
自分の周囲で感染者が出た時に何も後ろ指を指されないように
ずっと家にいる生活を送っていますが。
正直な話、あれだけ苦労してまで帰る意味や、
帰れない!と帰国難民でいる意味はなかったな、というのが実感です。。。

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コロナ禍の本帰国3:羽田空港前編

8月3日にメキシコを出た後、福岡の自宅に着いて2回目の朝を迎えたニイナです。
えぇ、そうなんですよ、日本なんです。自宅なんです。
いきなり本帰国編の3、で1・2はいつの間にアップした?!と思われた方、
3が最初で合ってます。

本帰国の経緯や出国前の諸々、
その前にメキシコいる間の最後のカンクン旅行
(これもコロナ禍の旅行なので思ったことをたくさん言いたい)
などなど順を追ってアップしたかったのですが。。。

とりあえず最新の羽田空港での検査状況、からの入国について、
情報があまりなくて自分は困ったので、
まずはこの部分の自分の体験をシェアしたいと思います。
これもだいぶ遅くなってごめんなさい。
これからの帰国を考えていらっしゃる方や仕事で海外に行かなければならない方の
計画をする一助になれば幸いです。


今回の移動はあまり写真を撮ってもないので、東京上空のなんちゃない写真をイキってYouTubeのサムネ的画像にしてみる。。。


まず帰国難民となる背景として、7月末から8月上旬の時点での日本のルールをざっくりまとめると。

1.大概の国から帰国する日本人は到着空港でコロナの抗原検査(唾液採取)を受ける
2.そもそも帰国出来る(検査する検疫があって国際線の定期便の到着がある)空港は成田・羽田・関空のみ
  (※7月末にセントレアもできるようになった??と薄い情報ありました)
3.その日のうちに結果が出て陰性なら、自宅か自腹でホテルに2週間こもっておきなさい
4.その2週間は国内線飛行機、タクシー含めの公共の交通機関に乗ってはいけません
(=どんなに遠くてもお迎えかレンタカーで自宅かホテルまで帰れってこと)
5. 3・4に関してはルールを破ったら禁固や罰金もあるんだからね。電話やLINEで監視しますよ。


というものです。
ルールそのものについていろいろと思うことはありますが。
日本の情報の多くはネットから、という海外在住者にとって
ネットでの(ほんの一握りだろうけどヤフコメとかの)コメントや
世論っぽくまとめられて伝えられる情報が、日本の世論のような気になるので、
日本に帰ってから、もしも自分の周りで感染者が出たらなんて言われるかわかったもんじゃないな、とその恐怖もありました。

そんなこともあって、いろんな考えの人がいますが
とりあえず私を含め、周囲の日系企業に勤める人は
まともに1〜5のルールを真面目に守ろうとし、
日本に帰っても周りの人に感染させまいと、迷惑かけないように、と
考えている人が大多数で、ルールを守ろうとする結果、
帰国のハードルが経済的にも物理的にも心理的にも高くなってしまい、帰国難民となっています。

私の場合は日本に帰り着いた後、到着地のホテルで2週間こもる選択肢は
経済的に厳しいので、なんとか少しでも安く公共の交通機関を使わず
福岡まで帰る方法を探しました。
運よく、シェアライドのマッチングを提供しているサイトで
到着日の3日後に到着地から少し離れた神奈川県からですが
九州方面に向かうという方が募集をしていたので、
その方にコンタクトを取り、事情も説明したうえで
無事に陰性で解放される場合には乗せてもらう約束をした上で帰国することにしました。
シェアライドに乗車する時間まではホテルで自主隔離することにして、
神奈川県の乗車ポイントまではレンタカーで移動することにしました。


で、ここからやっと本題です。
最終的に私が帰国した便はロサンゼルス発の羽田に夕方に到着するJAL便です。
(メキシコからロサンゼルスに至るまでの経緯は後ほど、本帰国2でアップします。)
このルートは8月は週2便の運行で、搭乗人数は50人弱くらいだったと思います。
機内では数えてないので、到着後の最初の待合室の人数を数えました。
因みに偶然同じ日にシカゴ発の成田に午後に到着するANA便に友達が乗っていましたが、そちらは15人くらいの乗客数だったそうです。

搭乗中、早々に税関申告の紙と一緒に7枚くらいの紙がホッチキスでひとまとめになった、申告書などが一緒になった説明書類を配られました。

↑後で撮影しようと思って案の定、忘れてたのでHISさんのサイトから拝借しました。
質問票は私の時のバージョンでは大事なところ半分くらい赤枠でした。
2週間の間の居場所は、最初はホテルが決まっておらず途中で移動する自宅の1箇所しか書けてませんでした。


↑LINEで厚生労働省とお友達になることを同意するか(しろ)書、ですが日本の携帯番号でLINEを使用していない場合は使えないとのことです。
後の説明で、待機場所が自宅なら家族とかのアカウントでいいから登録しといてくださいね、と言われます。


↑これらの説明で初めて、空港での待機時間は2〜3時間であることと、夜遅い解放でも政府用意のホテルは無いので到着日から自腹でホテルを用意せねばならんらしいことがうっすらわかりました。


↑陰性だよ、ともらえる紙とは別に空港を出る検疫のところでも見せなくてないけないので最後まで大事にとっておかないといけない紙です。


説明書類にはもう「PCR検査」という言葉は使われていませんでした。
飛行機を降りて、唾液検査をして2〜3時間で結果が出るとのことでした。

その数日前に成田の朝着便は便数が多いのか、結果が出て解放されるまでに
6時間くらいかかるという情報がありましたので(GACKTもそう言ってた)
2〜3時間は早いとは思いますが、それでも空港出る時間はもう夜のはず。

そこから3日後にシェアライドの待ち合わせ場所に近いホテルまで行くのに、
レンタカーを借りられるかわからないし、借りても暗いので運転怖い。
(そもそも日本でレンタカー運転するのも恐怖でした。
右ハンドルの左車線の狭い道にもう慣れてないから。。。)

少し前までは、午後着便は政府用意のホテルで2泊して結果待ち出来る
とのことだったのですが、説明書類にはホテルを国が準備する、という記載は一切ありませんでした。

2週間の自主隔離の場所を書く欄(2箇所)が3枚はありましたが、
シェアライドで自宅に帰った後は自宅、と書けばよかったのですが
シェアライドの乗車ポイントにレンタカーで移る前、の滞在場所については
空欄にしていました。
いつ空港から解放されるかは事前に予測できなかったこと
空港近辺のホテルまで出るらしい送迎バスが
どこまで行くのかわからなかったことから、そして
検査結果出ても陽性だったらキャンセルしなきゃいけないしなぁ、、、
などなど考えていたので、空港を出てすぐのホテルの予約は取れていなかったからです。
という訳で、政府指定待機場所っていうのがないのであれば、
今晩からホテル取らなきゃ、と思いながら、着陸。

因みにJALのCAさん達みなさま、着陸前に一人ひとりのお客さんに
登場のお礼をしに周ってました。
ロスや羽田の地上スタッフの方々もそうでしたが、会った時にも
「お疲れ様でした」と言われ、もうその心遣いがね、嬉しすぎます。

機内では機内食のサービスも免税品販売も普通と変わらずありました。
食事時以外の飲み物のサービスはカートではなくて、お盆で時々注文聞きに来てくれるのと、後方にあるので好きな時に飲みに来てくださいね、のスタイルでした。


着陸後、検査所前の待機場所の混雑次第では1〜2時間待ちと聞いていましたが、10分もせずに飛行機を降りることができました。
事前の情報では国際線乗り継ぎの人が最初に、次に自宅に帰る人、その日のホテルが決まっていない人は最後に降りると聞いていましたが、そんなことはなく、全員前方の座席の人から順番に降りました。


羽田は国際線乗り継ぎが無い、、、のか?
いやでも、この便は中東とかいくつかの他の国の航空会社との
コードシェア便だから乗り継ぎの人がいても不思議じゃ無いし、
空港も乗り継ぎのチェックの場所も電気がついて職員いたしなぁ。。。
とか思ったけどまぁいいや。

あ、こりゃ思ったより全然長くなるので、空港編も前・後編に分けます。
なるべく早くアップするのでしばしお待ちを!
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