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ニイナさんの海外転職レポ

お金、コネ、専門技術、語学力、彼氏、全て無し!の33歳独身女性が体当たりで始めた海外転職活動と@ラテンアメリカのリアルなレポート。語学留学と就職を決めるまでの第一章、メキシコで就職して驚きの連続の第二章。目指した業界に転職しての第三章です。

バス三昧のグアテマラ・メキシコ

約3週間、ただひたすらに楽しい思い出を心と身体に刻み込んだ冬休みを満喫したニイナです。
身体の方は主に山登りの筋肉痛と、毎日飲んでた所為か膵臓?肝臓?なんか腰に近い内蔵の痛みとなって刻み込まれたんですけど(笑)

この日のイメージソング:James Blunt ”Goodbye My Lover”


ケツァルテナンゴ行きのシャトルバス(190ケツくらい)は朝5:30というとんでもなく早い時間と、次は午後14:30しか無いので、チキンバスで帰る事にしました。

1月9日の午前遅くアンティグアの市場奥にあるターミナルまで私の荷物を持って見送りに来てくれた、センセイ(仮名)とお別れしました。
私から溢れ出るほどのたくさんの感謝の気持ちを上手く伝える言葉が見つかりません。
きっとこれからの私の生き方を私自身が誇れる様に生きていく事で(センセイだけでなく私の周りの)大切な人・友人達に気持ちを伝えていけるのではないか、と思います。

偶然センセイとおそろいのPC。
ちなみにカラフルなキーボードはどこでも欧米人に声をかけられた可愛さです。
そのうち左側も似た様なのになる、、、のか?!

チキンバスにしてはそこまでぎゅうぎゅうの込み具合ではなかったので、どの写真をブログに載せようかと考えつつ写真を見ながら思い出に耽っていたら、1時間程で乗り換え場所のチマルテナンゴに到着。
が、そこで幹線道路沿いの乗り換え地点で降り損ねたらしく、終点でケツァルテナンゴに行きたい旨を若い車掌さんに言ったらこのままもうちょっと乗ってな、とのこと。
一人残った回送中の車内で私が日本人と分かったらいつもの質問タイムかと思いきや、初めての質問でした。

日本はいつも暴力があるか?そうか、安全なのか、ここは毎日殺人があるよ。」

何とも返しようのない会話をしていたところで乗り換え地点に近づいたらしく、「2ブロック先にケツァルテナンゴ行きのバスがしょっちゅう来るから!」と言って降ろしてくれました。
そこから乗ったチキンバスは、、、今までの私のバス史上、最悪の状況でした(笑)

初めてサンペドロに向かった時のピックアップバスで巨人(仮名:好きだけど嫌いな元ルームメイトのアメリカ国籍イスラエル人)にしがみついていた30分なんてまだ可愛いもんだったと思えるくらい。
本来2人がけのシートに3〜4人ずつ(通路に身体のほとんどがはみ出た状態で)座っていて、さらにぎゅうぎゅうの通路に立っていてもそれらの(ほぼ男性の)はみでた身体に挟まれていて身動きとれずで、急カーブの爆走3時間。
いやぁ、疲れた。

 私の左側 私の見えない足下
 私の右側


という状態でケツァルテナンゴに到着。
思った程は寒くなく、慣れた道を通り抜けてマイクロバスの乗り場に行き、セントロへ。
学校のすぐ近くの素敵なホテルに部屋が取れたので、ちょいちょいと動き回ります。
明日の移動のバスチケットの予約確認と、学校で長期割引分のお金の受け取りと、学校に置いていた荷物(スーツケースのドンガバチョ)を引き取って。。。

もう学校に行っても仲の良かった友人達はみんな他所へ旅立ったか、ちょうど(昨日までの私と同じ様に)国内旅行中かで会えませんでした。
私の先生も子どもの学校が冬休みが終わったみたいで午後は忙しいらしく学校に来る事も無いし、仲の良かったスタッフ達も会えず。
あぁ、今ここに誰もハグしてお別れする人は居ないのが寂しい。

夜になって、アンティグアで一緒に登山してケツァルテナンゴに先に移っていたお兄様(仮名)とお食事する為に約束の場所へ行こうとしていたら、とっても会いたかった小さなお友達、イリアナとその家族を発見!


彼女は私がケツァルテナンゴの公園で漢字売りをしていた時に、最初に仲良くなった公園仲間です。
お母さんがいつも公園で1つ5ケツのチョコを売って回っている所にくっついています。
私が漢字売りをしている時に、いいアシストをしてくれていました。

私をニイナと呼んでくれていたイリアナは会わなかった約1ヶ月の間にちょっと大きくなっていて、私の名前を忘れたのか出会った頃の様に、セニョー(ご夫人)と呼びかけてきてちょっと切ない。
学校といい、イリアナといい、私が居ない3週間の間にケツァルテナンゴの時計も当たり前に進んでいて、明日でここ3ヶ月半私も持っていたその時計とももうお別れなんだと実感してきました。

10年後、この街はどうなっているだろう?
10年前にはこんなに車が多くなかったというケツァルテナンゴは、今後変わっていく気もするし、もしかしたら何も変わってないかもしれないと思わせるくらいにティピコ(典型的)なグアテマラの中でもちょっと特別な街です。
10年後(とは言わずにもっと早くかもしれないけど)遊びに来よう。
その時はイリアナも立派なお母さんになっているかもしれない。

翌朝、私の初めての日本語の生徒君ともなんとか会えないかと調整しましたが会えないままでお土産をホテルに託して、8時過ぎにシャトルバスでメキシコのサンクリストバルデラカサスに向かいました。
シャトルバスは一度近くの村で乗り換えがあり、最終的には9人の乗客で出発。
唯一の現地人、メキシコ人のダンサー(に見えずにシンガーっぽい)君は黙々と運転手さんを手伝って、私の超重たいスーツケースのドンガバチョ他、みんなの荷物を車の屋根の上に運んでいました。
車内の後ろ半分はヒッピーなスパニッシュカップルが盛り上げ役となり楽しいものでした。

残念ながらイスラエル人の女の子が当たり前の様に「私の荷物だけは安全な所においてちょうだい。喋りたくない人とは喋らない。でもご飯持ってるなら分けてちょうだい」という姿勢を押し出してきて、挙げ句イスラエルの軍事の正当性について大演説を始め、全体の和を考える日本人としては面倒くせえな、という思いもありましたが。
今、ケツァルテナンゴで知り合った友人の第二の巨人(オランダ人)が言ってたのを思い出しました。
『イスラエル人たくさん見てきたけど、ろくな奴居ないよ』
ははは。もちろん全部がそうとは言いませんが、私も今のところ7割くらいで自分勝手な人が多い国なのか、と思っています(笑)

笑えたのは、セントロパルケでよく見かけていた、(あまり上手いのか下手なのかわからない)棒に火をつけて振り回す大道芸をやるヒッピー達が多く乗っていて、彼らはみんなサンクリが大好きということ。(もちろん堕落のヒッピー村は既にみんな当然行っています)
この人達、私にはみんな同じに見えてたけどたくさん居たのね。

バスはくねくねしてやはりシュッとは行かないグアテマラの道を延々進んで国境へ。
一度、グアテマラ側で出国手続きをして外にたくさん居る両替商で換金。
で、国境のゲート横を歩き抜け、待機してあった違うバスに乗り換えてから3分程走った所のメキシコ側イミグレで入国手続きです。


荷物を自分で運んだりして面倒くさいですが、お金もかからず日本人は特に何かを聞かれる事もなく、ベリーズの時に比べたら何も無くて楽なものでした。
(私がベリーズに行った数日後から1ヶ月の混乱期を経て今は日本人もビザ無しでベリーズに入れるそうですが。)
手続きは待ち時間を含めてトータル1時間か1時間半くらいだったと思います。

そこからまた途中休憩を挟んでひたすらバスは走り、まだ暗くなる前の夕方にバスはサンクリの一等バスターミナルに着きました。
ここから、翌々日の朝までに帰りの飛行機が出るメキシコシティまで行かねばなりません。
メキシコは長距離バス天国。(今回のサンクリからメキシコシティに向かうバスは約14時間かかります
Wi-Fiつきやらのデラックスなバスがあるらしい、ただしグアテマラみたいに安くはないけどと聞いてはいました。
確かに、3年前にメキシコに旅行した時に乗ったバスは(寒くてどうかなるかとは思いましたが)のびのびしたバスだったもんなぁ。

窓口で聞いたら、今日はもうここから出るシティ行きは全て満席だと言われ、劇重スーツケース(名前はドンガバチョと言います)を抱えた私はやっべぇな、と。
サンクリまで一緒のバスだったメキシコ人ダンサー君がシティの家に二等バスで帰ると言ってたな、と思い出して彼を探し出し、二等バスは席があったのか聞いたらそっちもない。
彼は明日乗れるバスまでサンクリで一泊するとの事。
私ももう最後は明後日の朝までに空港にさえ着ければ何でもいいや、今日はもう噂に聞いていたサンクリの日本人宿で一泊しようかしらと思い始め、もう一度窓口に行って明日のバスを聞こうとしたら。。。

今日のバスで1席空きを発見!やっぱりさっきとは他の人に聞いて良かった。
即座に申し込み、荷物預け窓口で本当は30分しか預かってくれない所を50ペソ払う事で2時間預かってもらいました。
こういう時、本当の値段が分からない事もあり未だに賄賂だらけのメキシコだし、と割り切ってさっさと払った私は自分自身がもうグアテマラからメキシコモードに切り替わったんだなと実感。
バスが出るまでの間に、小さな街だけどコロニアルで可愛いらしいサンクリを見ておこうと思い、セントロまでダンサー君と歩きました。
ダンサー君がお宿探しをしている間に(後に彼は一泊35ペソ約315円のお宿を見つけていた)、私は可愛いサンクリのセントロを一周し、また長時間の乗車に備えてセントロ近くのレストランバーでワインとエンパナーダ(中南米の軽食の代表格。トルティーヤを使った包み揚げ)のセット125ペソでお腹満たし完了!
このホテルと軽食のそれぞれの価格、なんかいろいろおかしい気が(笑)



セントロでダンサー君とお別れする際のハグがケツァルテナンゴ時代の友達以来、久々にされたギュムーっと強い感じのものだったので、かなり酔っぱらうと抱き付き癖のある私はちょっと嬉しく・・・いやいや違います(笑)
そういや私、今は一人で旅行してんだった!とちゃんと思い出し、気を引き締めた次第です。
そう、どんなに爽やかなスナフキンの様な人でも、メキシコ人ですから。
一般的にはシャイなグアテマラテコよりメキシカーノは情熱的なのでね。

あ、ちなみにラテンアメリカでは友達同士でも女性相手には握手より、ハグかほっぺ同士をくっつけるチューが一般的です。
欧米人の友達も、仲の良い男友達はギュムーっとハグ、普通の友達や初対面の人は軽いハグもしくは男女問わずほっぺっぺって感じでした。
これを日本人はやらないからなぁ。
やるとこなれた感じに見られるし、何より安心感が増すのでいいと思うのですが。

さて、バスターミナルまで戻り予定より1時間近く遅れてだったかな?バスはシティに向けて出発。
アメリカやメキシコの国内線飛行機やグアテマラの一等バスが極寒だったことを覚えている私は、二重靴下やブランケット代わりのストール、空気式枕等と共に万全の準備で乗り込んでいました。
おかげで、出発後2秒で寝落ちしてぐっすりと睡眠を取ったのでした。

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