忍者ブログ

ニイナさんの海外転職レポ

お金、コネ、専門技術、語学力、彼氏、全て無し!の33歳独身女性が体当たりで始めた海外転職活動と@ラテンアメリカのリアルなレポート。語学留学と就職を決めるまでの第一章、メキシコで就職して驚きの連続の第二章。目指した業界に転職しての第三章です。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


手続き編:確定申告とビザ申請

最近、自分も危機も時間も管理能力が著しく低下しているニイナです。
旅から帰って会った方々に言われる一言「…太った?」
帰ってきてからのご飯が美味しくてね。。。
グアテマラの直射日光で日焼けして引き締まったように見せる作戦は失敗に終わりました。

さて、先日は確定申告へ。前もって、税務署に出向いていろいろ確認済みです。
昨年、日本でマンションを買ったのと会社を辞めた挙げ句、今年は外国に転出予定ですが確定申告は必要ですか?それと今後どんな手続きが要りますか?と。

その結果、今年の私の場合。
前回、外国に出るにあたりどうやら今後税金ほかの手続きをこの人(家族)にやってもらいます的手続きが必要と書きましたが、ちょっと違いまして。
正確には、
今年の確定申告はもう時期的に出来るので自分でやっちゃって、来年以降は放置で良いよ、って事でした。

そもそもローンで居住用としてある一定の基準を満たす家を買ったら、10年間はローンの元本に対して1%の税金の控除(相殺)が受けられるんですが、海外に住民票を移す事でそもそも日本に税金を払わなくなるので、仮に10年以内に住民票を日本に戻したとしても来年以降は控除は何も無し。
でも固定資産税(国税局じゃなくて市に払う)は今後も毎年払い続けねばなりませんので、積み立てしっかり頑張りまーす。

まぁこういうのも全てそうだけど、人によって全部違うので。
面倒でも直接か電話でも聞いてしまうのが一番早いです。。。
で、改めて法務局行ったり市役所行ったりして必要書類をかき集めながら半日仕事で申告書類の作成と提出を終えました。
それでももうちょっと書類があれば、もっと控除が受けられるという事でしたが、もういろんな所に連絡してこれからまた何日もかけて書類を集めるのとか面倒くさい上に、これ以上税務署のお役所仕事を見ていてイライラもしたくなかったので。
いえ、今時のお役所の方は以前よりずっと対応はまともだと思います。
窓口にいる方々も一生懸命対応してくれました。
ただなぁ、、、暇そうにしているアルバイトの方々を責める訳でも何でも無いけど、ただもうちょっと人を上手く人員配置の計画を立てて雇うというかさ、上手い税金の使い道あるでしょうに、これやけんお役所は…ごにょごにょと言いたくなり・・・ごにょごにょ。


そうこうしている間、◯◯ロスの現象も。
芽キャベツを見ては、「あー、これ向こうで初めて料理したな」
やかんでお湯を沸かそうとしては、「向こうでは一人で(ライターで)ガス台の火を点けれなかったな」
ポスターを見ては「向こうでこの言葉よく使ったな」(旅の相方さんとはリリーさんの仰る通りの正しい「ズルい」の使い方をしていた)


旅の時の楽しい思い出の心のアルバムを開いては、一人で爆笑したり切なくなったり。
過去のことばかり見ていて、未来の準備が結構おろそかになってていけませんね。
帰国の報告をしてまわっているのですが、愛すべき元上司、尊敬する年下の元同僚、海外を共に旅した友達、お稽古ごとの仲間、などなど以前何かを一緒に頑張った大好きな人達が、今、日々頑張っている姿に接して焦りだしました。
ヤバい、私、今頑張って無いじゃん。
諸手続きは順調にさくさくと片付けているので、明日からはとりあえず空いた時間は本気でスペ語の勉強をします、マジで。


初公開。向こうで勉強していた時のノートです。


あ、因みに(でもないですが)iphoneとかからこのブログを読んでいただいている方は分かりにくいかもしれませんが、実はしれっとリンク集などをアップしています。
就職や旅の情報を集めたい方はトップページからどうぞ。


そうそう、メキシコの就労ビザを取る為の手続きなども進みました。
就労ビザを取るにはざっくりと
1:就労する予定の会社からメキシコの移民局に申請書を提出してもらう
2:申請許可が降りたら、メキシコ国外にある大使館に連絡して、許可書に書かれてある番号(NUT番号というものっぽい)を伝えて面接予約を取る
3:面接日に大使館で外交官との面接を受けて、受かれば当日ビザを受け取る(パスポートに貼ってもらう)
4:メキシコに着いたら、移民局に行ってビザを元に在留許可証(外国人カードみたいな?)に切り替える

こんな感じの手続きが必要らしい。
私は今回は東京にあるメキシコ大使館で日本語で面接を受けようと思っています。

2番に関して、会社から聞いていたのは、許可が下りて2週間以内に面接を受けなければならないとの事でしたが、しつこく日本のメキシコ大使館に電話して確認したら、昨年10月に制度が変わって30日以内に予約の連絡をして、180日以内にビザを受け(面接自体を受け)ればオーケーとのこと。
ベリーズのビザ騒動でも思ったけど、こういうの、しょっちゅう変わるもんなんですね、はぁ。

現時点ではとりあぜず、2番まで完了しています。
日程をのんびりとなんとかなるだろう的観測で出発当日に組んでいたら、やっぱりメキシコの事だし私も時間がなくて焦っている姿が予想出来たりして不安になってきたので、日程を前倒しすることにします。(できるのか?) さて。明日はセール最終日の所も多いし。

向こうに持っていくお洋服なんかもそろそろ買い集めに行こうかしらね。(半年ぶりにOLやるのでちゃんとした服が無いのが今の悩み)

にほんブログ村 転職キャリアブログ 外資系転職・転職活動へ
にほんブログ村

拍手[3回]

PR

手続き編:運転免許更新と雇用保険絡み

日本に帰ってきてから、心が落ち着かない事が多くて戸惑っているニイナです。
意外と自分が思っていた以上に、私は中米で人と関わっていましたがそれでもその方がストレスフリーでかつ楽しく充実して生活していたらしい。
ま、いっかぁ。
どこにいたって私は私だし、私自身が私の最終目標「充実した人生に満足して笑い死に」だけ見えていたらそれでいい。

さて。日本時間1月15日の夜遅くに福岡空港に迎えにきてもらった姉の車で帰宅。
旅の洗濯物やなんやとさっさと片付け、翌日からは元気に行動です。

今回の一時帰国の間にやらねばならんことがちょいちょいありまして。
その最たるものが、確定申告です。

2014年は会社辞めたし、何よりマンションをローンで買っちゃったし、確定申告をしておかないと税金の請求が大変な事になるはず、とビビっていまして。
グアテマラに居る時からずっと調べたり公認会計士の友人に尋ねたりしていたのですが、やはりどうにもこうにも自分で手続きしなくてはならない様です。
というか、確定申告の期間にはもうメキシコに移住済みなので、どうやら今後税金ほかの手続きをこの人(家族)にやってもらいます的手続きが必要。

で、それらの前にやらねばならんこととして、ちょうど運転免許証の更新のはがきが来ていたのでそれをまずイノイチバンにする事に。
確定申告の相談以外にも海外への転居や携帯の解約などたくさんの手続きを進める予定です。
免許証はその際に必要であろう身分証としてや移住後も日本での身分証として持つつもりなので、最初に有効なものにしておく必要があるな、と思いまして。

福岡県では免許証に持ち込み写真を使う場合は即日発行されず、受け取りに二週間くらいかかります。
写真持ち込みなどせず、試験場でバシっと撮ってもらえば他に変更事項なども無いので、出発までの間のいつ更新に行っても良いのですが。

現在手元に普通の透明なコンタクトレンズを持っておらず、眼鏡もしくは縁が黒いディファインしか装着出来ない私。(カラコンを装着して免許証の更新検査はできません。)
ただでさえパスポートの写真が50人を殺してきた様な恐ろしい顔で写っているので、今回の免許証くらいは眼鏡姿やどこ見てるか分からない不機嫌な顔ではなくまともな写真にしたい!と思い、せっかくなのでケツァルテナンゴでプロの日本人カメラマンさんに撮ってもらった写真を持ち込みました。

が、「この写真は荒くて使えません。」
ってえーっ!!画素数けっこうありますよ。セ◯ンイレ◯ンのコピー機でプリントアウトしたのがいけなかったのか。。。
以前の私ならそこで、そうですか、で眼鏡のテカリ顔で写真撮影の列に並んだのですが、ここで私は「なんとかお願いします!ダメならデータもあります!」と泣きつき、写真を使ってもらえる事に(笑)
いやぁ、やっぱ海外でより自分の要求に対して素直に(と言うか単に図太く)なったよねぇ、私。
基本、何とかなる、で生きてますから、えぇ。

そうこうして(まだ青免許なので)1時間の講習を受けて免許証の更新(申し込み)手続きは完了。
次は地元のハローワークへ。
これまた失業保険関連も日付が結構重要なので、まずは最初の確認の為に早い所行かねば、で初日の予定に入れました。

失業保険って人それぞれ考え方があると思うのですが。
貰えるものは貰っておこう、っていうタイプと、どうせ大してもらえないだろうし、で面倒な手続きをスルーするタイプと大まか二通り。
受給要件に当てはまっていても、ちょくちょくハロワに行かねばならないっていう面倒な決まりがあって長期で海外に行く事を諦めたりする人も居るかもしれません。

今回、私は間をとって「正直に全部申告して、貰える部分だけありがたくいただきましょう」作戦です。
だって給料天引きで毎月お支払いしてきた保険料だもんね。。。

海外に居る間にハロワに行けなかった場合や海外で就職が決まった場合はもらえるんですか?などの質問もグアテマラに居て内定を頂いた時からSkypeで確認していて、「海外での就職も貰えると思うので帰国したら一日でも早く窓口に来て下さい」との事でした。
ぶっちゃけ、私が本来貰える総支給額は3〜4ヶ月に渡っての分割で44万円超くらい。
それを(まだ結局おいくら万円とはしっかり出てないのですが)2分割で多分10万円ちょっと位は頂けるのではないか、と期待しています。
まぁ、移住でそれも全て消える(むしろマイナス)かと思いますが、ありがたやありがたや。

私の住所の管轄のハロワで早速質問開始。
  • 海外で就活をしていて認定日(ハロワに行かなきゃいけない日)に来れませんでした。いつ失業保険をいくら貰えますか?
→えぇ〜!海外で就活ですか。それはまた新ケースですね。とりあえずまた次の認定日(ハロワに行かなきゃいけない日)までに一度来て就職活動をして下さい。それと認定日そのものも。そうしたら分割一回目はお支払い出来ます。

  • 内定をもらったが、正式な書類を交わしてはいない。内定という形で何も提出が出来ないが、そもそも内定前と内定後でもらえる失業保険の額に差がありますか?
→えぇ〜!内定もらったんですか?海外に就職の確認は出来ませんが、特に内定の書類などなくとも、働きだす前日分まで(私の場合は日本を離れる前にハロワに来れる日までの分)を支給します。なので、内定前後で金額に差はないですよ。

  • グアテマラでお金を稼ぎました。一日平均で労働時間は1時間くらいと平均稼ぎが50ケツで、週末の好きな時にやってトータル8日間くらい。その分、貰える額が減りますか?
→えぇ〜!ケツァールってそれはまた何ですか(笑)まぁどっちにしても制限期間(日本に居たとしてもお金がもらえない期間)なので、関係無いです。


という感じで、正当な受給者な割に聞いた事も無い新ケースばかりを持ち込んだ面倒な相談者(しかも手続きに必要な書類を全て忘れてくるという。。。)として、窓口の向こう側の職員さん達の眠たい午後のひと時に笑いをもたらしつつ、今後の動きを確認してきました。

以上はあくまで私のパターンなので、もし、今後会社を辞めて長期海外に行きたい人などはご自身で管轄のハロワにご相談下さい。
各制度はしょっちゅう変わるし、直接確認してみて初めて分かる事もあったりします。

それと、よくハロワ絡みでもう一つ。
海外で会う日本人の方からもよく尋ねられたのが「どうやって仕事を見つけたのか」の質問です。
それについては現在リンク集をまとめているのでもうちっとお待ちを!

ただ、その中の一つでハロワで海外求人があるよってことなんです。
数は少ないし、日本企業が登録しているので海外赴任の形になる場合が多いと思うのですが、その分日本ベースの給料(なので給料は良い)だし、何より日本に居ながらにして検索とハロワを通じての問い合わせが出来ます。
(ハロワを通すとその場で面接確定するし、聞きたい事も先に聞けるので楽)
昨日、メキシコでちょろっと検索してみたら、一級建築士求む、と営業求むで年齢不問ばかり4件くらいあったかなぁ。
意外とハロワ侮れないよってことで。

夜は母方の祖母の家へ。
そこで先制されました。。。
「最近はテロばかりあって危ないから海外移住なんてするもんじゃない。外国人の旦那さんもだめ。日本にいてお金をコツコツ貯めるのが一番の幸せ。(そうではないなら)ニイナは男に産まれれば良かったのに。」と。

わかります。
80代になって夫を亡くした後に、コツコツ貯めてきたお金で一人で住む用の家をキャッシュで建てちゃったくらいの人のいう事は、自身の経験に裏打ちされた「幸せ」に基づくものなので。

でもね、おばあちゃん。
日本もどうなるか分からない今、いつ死ぬか分からないのは世界中どこに居ても同じだし。
日本と世界に壁は無い今、自分に必要な分のお金を稼ぐだけなら世界中で出来るから、むしろ貯める事や仕事以外の有効な時間の使い方だけ考えたら日本より条件のいい所はいっぱいあるし。
お金はお墓に持っていけないけど、広い世界をフィールドにした経験と心のアルバムは天国に持っていけるよ。
そして私はどこに居ても日本人だよ。日本が嫌いな訳でもないし、外国人になりたい訳でもない。女性だからこそ度胸と愛嬌を併せ持って自信を持って生きていけるの。

という本音はさすがに言えず。
大好きな人なのでわかってもらいたいけど、全ての人には伝わらない事があるということもわかっているので、黙っていました。
友人も類友なんで、ここを言うべき人は私の周りにはあまり居ませんが。

とりあえず、日本帰ってきたなぁ、、、って感じです。

初詣とお礼参りを兼ねて太宰府天満宮へ。

あっ!でもこんなことあっても元気だし、おばあちゃんとも仲はいいのでご安心を〜。

拍手[2回]


旅の終わり:ニューヨークの一日。

約4ヶ月、自分は旅人じゃないと言い張ってきたし事実そうなんですが、ここにきて「私、旅人っちゃない?」と思っているニイナです。

メキシコからの乗り換えですったもんだがありましたが、なんとか昨夜遅く11時前にはニューヨークのラガーディア空港に到着。
ここはニューヨークに3つある空港のうち一番街中に近い所で初めて使うのですが、こじんまりしているのではないかという想像を超えて、さすがはニューヨーク。
夜だけどバーも、誰でも使えるように設置されたタブレット端末が並ぶ電源コンセントのテーブルも美しく機能しています。

夜なのでイエローキャブに乗り込み、友人宅の住所を告げていざ。
運転手が時々ぼそぼそ言っていて、英語がさっぱりわからんちんの私は放置していましたが、どうやら電話で仲間と会話している模様。
こんなときでもスペ語しか出ません。
でも何とかなります。
NYですもの。
スマホで道を検索しながらで、最後は私自身が友人が住む建物の番地を見つけて「ここだよ!」と言ってなんとか到着しました。
ブルックリンの友人宅まで思ったより安い30ドル+チップ。
グアテマラのケツァールだったらな。。。というケチケチ換算は意外としなくなるもんですね。
ケツ換算していたら、こんなとこには来れません。
日本にも住めません。

今回は3度目のNYで、特に見たい所も買いたいものもある訳ではありません。
元々この旅のチケットを買った際に、この友人とも会いたいし、クリスマスと年越しを世界一キラキラ賑やかな所で過ごそう!と思ったのでルートに入れていたのですが、なんせ予定変更ばかりしてその頃はグアテマラのド田舎の畑に居たり、登山していたりしたもので。。。
私の持っているチケットは日付は変えられてもルート変更は出来ないので、ひとまず友人に会う事だけを楽しみにやってきました。

モノを増やしたくないのと無駄時間・無駄金が嫌いで考え込み過ぎて買い物が苦手な私ですが(ケチなんです)、私にとっては時間とお金は、大好きな人達に会って楽しい時間を過ごすことに使う為のものです。

さて。友人としばらく語って今朝。
会社に行く友人と地下鉄で別れ、そのままぶらぶらと途中カフェに寄ったりしつつ、お散歩してきました。
外は耳が凍る程に寒く、昼間なのに低い太陽が目を刺すのでサングラス必須です。
街行く人の歩幅も歩く早さは、みんなが早い訳でなく人それぞれです。
英語で話せないところをスペ語で話して道を尋ね、ただ好きなように歩く。
以前NYに来た時にも思いましたが、ここはパワースポットです。
人のパワーがすごい。
それに何でも無い道を歩いているだけでいちいちお洒落です。
何もする事は無いと思っていましたが、充分にパワーをもらいました。



 やっぱり気になる不動産看板(笑)


そしたら心の中からどんどんどんどんやりたい事が溢れ出てきてどうにもならなくなりました。
この4ヶ月でインプットしたものを今すぐアウトプット(私の場合は文章で)しないと私の中で腐っちゃう、と。

そういったわけで、このブログもちょっと転換期を迎えます。
最初の目的の(割にちょっと放置気味だった)海外転職に関しての情報については、旅で出会った方々からもとてもたくさんのお尋ねをいただきました。
みんなそれぞれどこで働くかをオプションの一つで考えられる時代ですからね。
そこに関してはちゃんとまとめます。(と宣言しておかないと!有言実行)
もちろんこれからも、就職してからもいろいろとやりたい事はあるので、その動きなども2章としてアップしていく訳ですが。
同時に旅というかグアテマラの生活情報ページや、何気ない暇つぶし程度の文章、私の日記(日常報告)としても読んで下さっている方もいらっしゃるので、そこはそことして残しておきます。
いずれにしてもちょっとまだまだいろいろ考え中。
これも今の自分が生み出したせっかくの忙しさなので、楽しみながら作っていきたいと思います。

わくわくしてきたらパワーを使ったのか単なる食いしん坊なのか(多分後者)、お腹が空いたのでデリごはんでお家ランチ!
の前に、素敵なビール専門店があったのでとあるビールを探しました。

グアテマラのアティトラン湖のほとりの堕落のヒッピー村(?)で知った、ブルックリンのビールです。
あ、後ろは安売りしていたメキシコのビールでーす。

味の好みで言えば、グアテマラの安いブラバやメキシコのライトなビール達、そしてこよなく愛する日本が誇るアサヒスーパードライの方を選ぶのですが。
ここはニューヨークのブルックリン。
これを飲みながら明日からの忙しい毎日に思いを馳せています。
さて、午後はマンハッタンに繰り出しますか。

拍手[3回]


なんてこったいメキシコシティ

この4ヶ月で培ったスペ語についてのほんの少しの自信(培ったのは語学力そのものじゃなくて自信だけ)が粉々になったニイナです。
それくらいメキシコで私の耳は彼らの言葉を聞き取れませんでした。。。

バスは11日の午前中にメキシコシティに4つあるうちの通称TAPOという東ターミナルに到着しました。
約3年ぶりのメキシコシティです。(前回は純粋に友達と旅行)
ターミナルでこれまた噂に聞いていた日本人宿「サンフェルナンド館」に地球の歩き方2011年版を見て電話して、今日の空き室がある事と大体のタクシーの値段を確認しました。

噂に聞いていたというのは、長期荷物預かりをしてくれる事と、その昔ボクサーの亀田兄弟の誰かがメキシコ修行中に滞在していたらしい事と(笑)、やっぱり旅の情報が集まるし何より楽しい、という事です。
3年前にシティに滞在した時はせっかく物価の安いメキシコだから(普段は泊まらない様な)世界ブランドの高級ホテルに泊まろう!と最高級ランクのホテルに泊まったのですが、今回は移動の一泊だし一人ぼっちですからねぇ。

確認したタクシー代は大体120〜130ペソ、高くて150ペソ(約1350円)くらいに収まるというものでしたが、ターミナルを出てからのタクシーの客引きはみんな200などボってくるので、無視してタクシー乗り場へ。
リブロという街中を流しているタクシーは昔から犯罪に会う危険性や値段をボってくる等で悪名高かったのですが(前回の旅行ではなるべく乗らない様に頑張ったくらい)、タクシー乗り場で値段を確認したらビッグなスーツケース(名前:ドンガバチョ)もあるのに140ペソで行ってくれると言うので、乗り込みました。

運転手のおじさん、こっちがスペ語を話すと分かるとひたすら喋り倒してきます。
乗って5分後にはプロポーズです。
行こうとした道が工事中でもノーアイプロブレマ(問題無し)。
かなりの遠回りをしながら『もうちょっと街中を見るデートを続けよう!』
普通は金額が決まっている場合はさっさと降ろして次の客を探したいかと思うのですが。
・・・やっぱここ、メキシコやー(笑)

しかし、何言ってるかさっぱり聞き取れない。
メキシコはグアテマラに比べて口調が早いと聞いていたけどここまで?
しかもいくらここ3週間日本人といっしょに旅していたとは言え、お家の人相手や街でもスペ語喋っていたのにここまでわからないか?
と慎重によく耳を澄ましてみると、単語自体がさっぱり知らないものなんです。

アンティグアで一緒に山登りした隊長(メキシコに留学中の女子大生)が「スラングとか言われたらさっぱり(わからない)ですね」と言っていましたが、その通り。
ほぼほぼスラングで喋っているし、世界中から来る外国人はスペ語を学びにきていると分かっているグアテマラの人みたいに、こっちがスペ語わからないだろうなと察してゆっくり優しく話してくれる事は無さ気です。
予想はしていたけどここまでとは。。。
来月からはそんなメキシコで働く私は、日本に帰ってメキシコ人相手の練習を重ねる事を心に誓ったのでした。

到着したサンフェルナンド館は、今日は宿泊客が少ないらしくひっそりとしていました。
人が居ないなら、とドミも一瞬考えましたがスーツケースを広げるので個室(バス・シャワーは共同:204ペソ)にしました。
これまた噂に聞いていましたが、サンフェルナンド館にはルチャ・リブレ(メキシコプロレス)が盛んなメキシコに修行に来ているレスラーさんやボクサーさんがよく滞在しているらしい。
やっぱりレスラーさんだった管理人さんが、激重のドンガバチョをひょいっと抱えてお部屋に運んでくれました。ありがたや。
お部屋は一人でも広いダブルベッドだし、ソファーもあるし、荷物のお片づけがしやすく快適です。

その後、特に行きたい所も無いですがお腹が空いたのでお散歩がてら外に出たのですが。
ホテルの前の道から大きな道に出る所にはあからさまにプロのお姉さん(売春婦)がチラホラ客引き中でいらっしゃいます。
ふむ。警察は何も言わないのかな〜。やっぱり賄賂もらってグルなのかな〜。と思いつつ。

近所をふらふらしていると、公園ではたくさんの出店が。
タコスなどはグアテマラでも小さいのが3つで10ケツ(約150円)などであったのですが、こっちはもっとボリューミーなのが1つ6ペソ(約54円)だったり、お好み焼きみたいなタコス?が10ペソくらいで売っていたりするので、物価がグアテマラより高いと思っていたメキシコの方が買い食い天国やん!

屋台のおじちゃんのスラングは聞き取れないものの私を熱烈歓迎してくれているのは明らかで超大盛りにしてくれるし、サルサはグアテマラより辛いし、いやもう大満足です。
まぁ、グアテマラと違ってお酒を外で飲めないのでビールと一緒に食べれない点だけが残念ですが。

夜も大きな通り沿いにタコス屋台がたくさん並んでいるので、10時前くらいだったかな?ホテルから近いところまでぴゅっと行ってぺろりと食べちゃいました。
ついでにコンビニでメキシコビールを買って。
あまり覚えていませんが、テカテの500mlで8ペソ位だった様な。。。安っ!
そしてやっぱりプロのお姉さん方は商売中です。

お散歩。

革命記念公園。いつの間にやらエレベーター付きになっている模様。周囲は幸せな日曜の午後を過ごす人でいっぱい。


アンティグアで毎日通っていたのと同じ系列のスーパー。(多分)


中米はガンメタのつや消し車が多い。。。味はあるけど単にボロくも見えて微妙。。。

夜のパッキングは早々に諦め、せっかくの広いベッドなのでゆっくり寝て翌朝、パッキングを開始。
よく考えたらまた一ヶ月後にはメキシコに来て生活の拠点を移動する事になるので、4ヶ月前に持ってきていた夏服や最後の方はあまり使わなかった英和辞書など、一度日本に持って帰る必要の無いものを全てスーツケースに詰め込み、お宿に預けました。(1週23ペソくらいだったかな)
3月にメキシコシティでセンセイと再会の約束をしているので、その時に取りにきます。
お宿では朝食にパンをリビングに置いてくれているのですが、そのパンが美味しい!
外はかっちり香ばしく、中はふわっと。
グアテマラでもパンはよく食べていたのですが、バゲット的なこのタイプはあまり無かったのでこれまたぺろり。てへへ。

荷物が減ったので地下鉄で空港まで行こうと外に出ましたが、路線調べたりチケット買ったりしていると時間無いしなー、残った荷物も重いし、という訳で今度は流しのリブロをつかまえました。
私、3年前はあれだけ危機感を持って行動していたのに、いつの間にやらラテンアメリカに慣れちゃったんですかね。
やっぱり運転手さんが何言ってるか分からないのでちぐはぐな会話をしながら、100ペソで空港までピュイっと行ってもらいました。

JALと同じワンワールド系のUSエアウェイズ、この日のシャーロット行きの便はほぼ満席。
(でも隣は空席。今回行きもこんなだった様な。トータルで移動運は持ってましたね。)
搭乗手続きも自動発券機に辿り着くまでに長蛇の列でした。
この空港のセキュリティチェックは結構甘い印象(液体持ってても行けそうな雰囲気)。
免税店で買う適当なお土産も無かったので、レストランでアジアンな料理をおつまみにして最後のコロナビールを飲み(朝にパン食べたのにね)搭乗しました。

乗り継ぎ地のシャーロットでは、3年半前にニューヨークに行った時から毎回そうですが、アメリカ入国に散々時間がかかって乗り換えに焦るという、いつものパターンで。
入国の長い列に様々な国籍の人が並んでいて、彼らの中に友人と似ている背格好の人が居たりすると、ちょっと切なくなりました。
山崎まさよしの歌ではないですが「こんなとこにいるはずもないのに」ってわかっているんですけどね。

そうそう、旅の終盤で何ですが。
上記の免税店でもそうでしたが、お土産が。。。無い。
いや、荷物の関係ももちろんあります。増やせないもん。
愛着や思い出が詰まっているのに壊れたものなどたくさん捨ててきましたし、まだ使えるものはセンセイに押し付けたりして断捨離をしてきましたが、それでもモノは増えているので。
 以前のメキシコ旅行で買ったサンダルも断捨離。


けどそもそもお土産で買うべきものが無くて困ってます。
グアテマラではあまりにお土産に適したものが売ってなくてですね。
いや、グアテマラの名誉の為に言っておきますと民芸品とか近隣国の分まで作ってる程に溢れているし、Tシャツとかもあるんですよ?

ただ毎度の旅行でそうなんですが、私がお土産選びが苦手で、いざ選ぶぞと思って選ぶ時間も私にとっては苦痛なんです。
これ、自分だったらもらっても使うか?使わんし。いやいや、これはあそこにしか無いものだし、、、でもなぁ、、これあの人に似合いそう!でもあの人の部屋に合うかなぁ、、、などとループで考えてしまうんです。
だったら消える食べ物がいいのですが、それもやっぱり自分が食べててその旅を思い出せる様なものでなおかつ美味しいものが良いと思うし。。。

元々、自分のものについてもなるべくモノを持ちたくないタイプなので、惚れ込んで買う意外は自分でも嫌になるくらい慎重過ぎな、(そして対価に見合った機能があるか考え込むケチな)買い物下手です。
晩ご飯の買い物をする時ですら、夕方のダイエーの食品売り場で気付いたら1時間うろうろしている事はざらでした。

それはさておき、せめてお餞別をくれたり送別会をしてくれた友人たちにはお返しをしたいのですが、、、ごめんなさい。
大したものが本当に無い。
先に謝っておきます。

さて。そんなこんなで旅は最終地点のニューヨークへ。

拍手[3回]


バス三昧のグアテマラ・メキシコ

約3週間、ただひたすらに楽しい思い出を心と身体に刻み込んだ冬休みを満喫したニイナです。
身体の方は主に山登りの筋肉痛と、毎日飲んでた所為か膵臓?肝臓?なんか腰に近い内蔵の痛みとなって刻み込まれたんですけど(笑)

この日のイメージソング:James Blunt ”Goodbye My Lover”


ケツァルテナンゴ行きのシャトルバス(190ケツくらい)は朝5:30というとんでもなく早い時間と、次は午後14:30しか無いので、チキンバスで帰る事にしました。

1月9日の午前遅くアンティグアの市場奥にあるターミナルまで私の荷物を持って見送りに来てくれた、センセイ(仮名)とお別れしました。
私から溢れ出るほどのたくさんの感謝の気持ちを上手く伝える言葉が見つかりません。
きっとこれからの私の生き方を私自身が誇れる様に生きていく事で(センセイだけでなく私の周りの)大切な人・友人達に気持ちを伝えていけるのではないか、と思います。

偶然センセイとおそろいのPC。
ちなみにカラフルなキーボードはどこでも欧米人に声をかけられた可愛さです。
そのうち左側も似た様なのになる、、、のか?!

チキンバスにしてはそこまでぎゅうぎゅうの込み具合ではなかったので、どの写真をブログに載せようかと考えつつ写真を見ながら思い出に耽っていたら、1時間程で乗り換え場所のチマルテナンゴに到着。
が、そこで幹線道路沿いの乗り換え地点で降り損ねたらしく、終点でケツァルテナンゴに行きたい旨を若い車掌さんに言ったらこのままもうちょっと乗ってな、とのこと。
一人残った回送中の車内で私が日本人と分かったらいつもの質問タイムかと思いきや、初めての質問でした。

日本はいつも暴力があるか?そうか、安全なのか、ここは毎日殺人があるよ。」

何とも返しようのない会話をしていたところで乗り換え地点に近づいたらしく、「2ブロック先にケツァルテナンゴ行きのバスがしょっちゅう来るから!」と言って降ろしてくれました。
そこから乗ったチキンバスは、、、今までの私のバス史上、最悪の状況でした(笑)

初めてサンペドロに向かった時のピックアップバスで巨人(仮名:好きだけど嫌いな元ルームメイトのアメリカ国籍イスラエル人)にしがみついていた30分なんてまだ可愛いもんだったと思えるくらい。
本来2人がけのシートに3〜4人ずつ(通路に身体のほとんどがはみ出た状態で)座っていて、さらにぎゅうぎゅうの通路に立っていてもそれらの(ほぼ男性の)はみでた身体に挟まれていて身動きとれずで、急カーブの爆走3時間。
いやぁ、疲れた。

 私の左側 私の見えない足下
 私の右側


という状態でケツァルテナンゴに到着。
思った程は寒くなく、慣れた道を通り抜けてマイクロバスの乗り場に行き、セントロへ。
学校のすぐ近くの素敵なホテルに部屋が取れたので、ちょいちょいと動き回ります。
明日の移動のバスチケットの予約確認と、学校で長期割引分のお金の受け取りと、学校に置いていた荷物(スーツケースのドンガバチョ)を引き取って。。。

もう学校に行っても仲の良かった友人達はみんな他所へ旅立ったか、ちょうど(昨日までの私と同じ様に)国内旅行中かで会えませんでした。
私の先生も子どもの学校が冬休みが終わったみたいで午後は忙しいらしく学校に来る事も無いし、仲の良かったスタッフ達も会えず。
あぁ、今ここに誰もハグしてお別れする人は居ないのが寂しい。

夜になって、アンティグアで一緒に登山してケツァルテナンゴに先に移っていたお兄様(仮名)とお食事する為に約束の場所へ行こうとしていたら、とっても会いたかった小さなお友達、イリアナとその家族を発見!


彼女は私がケツァルテナンゴの公園で漢字売りをしていた時に、最初に仲良くなった公園仲間です。
お母さんがいつも公園で1つ5ケツのチョコを売って回っている所にくっついています。
私が漢字売りをしている時に、いいアシストをしてくれていました。

私をニイナと呼んでくれていたイリアナは会わなかった約1ヶ月の間にちょっと大きくなっていて、私の名前を忘れたのか出会った頃の様に、セニョー(ご夫人)と呼びかけてきてちょっと切ない。
学校といい、イリアナといい、私が居ない3週間の間にケツァルテナンゴの時計も当たり前に進んでいて、明日でここ3ヶ月半私も持っていたその時計とももうお別れなんだと実感してきました。

10年後、この街はどうなっているだろう?
10年前にはこんなに車が多くなかったというケツァルテナンゴは、今後変わっていく気もするし、もしかしたら何も変わってないかもしれないと思わせるくらいにティピコ(典型的)なグアテマラの中でもちょっと特別な街です。
10年後(とは言わずにもっと早くかもしれないけど)遊びに来よう。
その時はイリアナも立派なお母さんになっているかもしれない。

翌朝、私の初めての日本語の生徒君ともなんとか会えないかと調整しましたが会えないままでお土産をホテルに託して、8時過ぎにシャトルバスでメキシコのサンクリストバルデラカサスに向かいました。
シャトルバスは一度近くの村で乗り換えがあり、最終的には9人の乗客で出発。
唯一の現地人、メキシコ人のダンサー(に見えずにシンガーっぽい)君は黙々と運転手さんを手伝って、私の超重たいスーツケースのドンガバチョ他、みんなの荷物を車の屋根の上に運んでいました。
車内の後ろ半分はヒッピーなスパニッシュカップルが盛り上げ役となり楽しいものでした。

残念ながらイスラエル人の女の子が当たり前の様に「私の荷物だけは安全な所においてちょうだい。喋りたくない人とは喋らない。でもご飯持ってるなら分けてちょうだい」という姿勢を押し出してきて、挙げ句イスラエルの軍事の正当性について大演説を始め、全体の和を考える日本人としては面倒くせえな、という思いもありましたが。
今、ケツァルテナンゴで知り合った友人の第二の巨人(オランダ人)が言ってたのを思い出しました。
『イスラエル人たくさん見てきたけど、ろくな奴居ないよ』
ははは。もちろん全部がそうとは言いませんが、私も今のところ7割くらいで自分勝手な人が多い国なのか、と思っています(笑)

笑えたのは、セントロパルケでよく見かけていた、(あまり上手いのか下手なのかわからない)棒に火をつけて振り回す大道芸をやるヒッピー達が多く乗っていて、彼らはみんなサンクリが大好きということ。(もちろん堕落のヒッピー村は既にみんな当然行っています)
この人達、私にはみんな同じに見えてたけどたくさん居たのね。

バスはくねくねしてやはりシュッとは行かないグアテマラの道を延々進んで国境へ。
一度、グアテマラ側で出国手続きをして外にたくさん居る両替商で換金。
で、国境のゲート横を歩き抜け、待機してあった違うバスに乗り換えてから3分程走った所のメキシコ側イミグレで入国手続きです。


荷物を自分で運んだりして面倒くさいですが、お金もかからず日本人は特に何かを聞かれる事もなく、ベリーズの時に比べたら何も無くて楽なものでした。
(私がベリーズに行った数日後から1ヶ月の混乱期を経て今は日本人もビザ無しでベリーズに入れるそうですが。)
手続きは待ち時間を含めてトータル1時間か1時間半くらいだったと思います。

そこからまた途中休憩を挟んでひたすらバスは走り、まだ暗くなる前の夕方にバスはサンクリの一等バスターミナルに着きました。
ここから、翌々日の朝までに帰りの飛行機が出るメキシコシティまで行かねばなりません。
メキシコは長距離バス天国。(今回のサンクリからメキシコシティに向かうバスは約14時間かかります
Wi-Fiつきやらのデラックスなバスがあるらしい、ただしグアテマラみたいに安くはないけどと聞いてはいました。
確かに、3年前にメキシコに旅行した時に乗ったバスは(寒くてどうかなるかとは思いましたが)のびのびしたバスだったもんなぁ。

窓口で聞いたら、今日はもうここから出るシティ行きは全て満席だと言われ、劇重スーツケース(名前はドンガバチョと言います)を抱えた私はやっべぇな、と。
サンクリまで一緒のバスだったメキシコ人ダンサー君がシティの家に二等バスで帰ると言ってたな、と思い出して彼を探し出し、二等バスは席があったのか聞いたらそっちもない。
彼は明日乗れるバスまでサンクリで一泊するとの事。
私ももう最後は明後日の朝までに空港にさえ着ければ何でもいいや、今日はもう噂に聞いていたサンクリの日本人宿で一泊しようかしらと思い始め、もう一度窓口に行って明日のバスを聞こうとしたら。。。

今日のバスで1席空きを発見!やっぱりさっきとは他の人に聞いて良かった。
即座に申し込み、荷物預け窓口で本当は30分しか預かってくれない所を50ペソ払う事で2時間預かってもらいました。
こういう時、本当の値段が分からない事もあり未だに賄賂だらけのメキシコだし、と割り切ってさっさと払った私は自分自身がもうグアテマラからメキシコモードに切り替わったんだなと実感。
バスが出るまでの間に、小さな街だけどコロニアルで可愛いらしいサンクリを見ておこうと思い、セントロまでダンサー君と歩きました。
ダンサー君がお宿探しをしている間に(後に彼は一泊35ペソ約315円のお宿を見つけていた)、私は可愛いサンクリのセントロを一周し、また長時間の乗車に備えてセントロ近くのレストランバーでワインとエンパナーダ(中南米の軽食の代表格。トルティーヤを使った包み揚げ)のセット125ペソでお腹満たし完了!
このホテルと軽食のそれぞれの価格、なんかいろいろおかしい気が(笑)



セントロでダンサー君とお別れする際のハグがケツァルテナンゴ時代の友達以来、久々にされたギュムーっと強い感じのものだったので、かなり酔っぱらうと抱き付き癖のある私はちょっと嬉しく・・・いやいや違います(笑)
そういや私、今は一人で旅行してんだった!とちゃんと思い出し、気を引き締めた次第です。
そう、どんなに爽やかなスナフキンの様な人でも、メキシコ人ですから。
一般的にはシャイなグアテマラテコよりメキシカーノは情熱的なのでね。

あ、ちなみにラテンアメリカでは友達同士でも女性相手には握手より、ハグかほっぺ同士をくっつけるチューが一般的です。
欧米人の友達も、仲の良い男友達はギュムーっとハグ、普通の友達や初対面の人は軽いハグもしくは男女問わずほっぺっぺって感じでした。
これを日本人はやらないからなぁ。
やるとこなれた感じに見られるし、何より安心感が増すのでいいと思うのですが。

さて、バスターミナルまで戻り予定より1時間近く遅れてだったかな?バスはシティに向けて出発。
アメリカやメキシコの国内線飛行機やグアテマラの一等バスが極寒だったことを覚えている私は、二重靴下やブランケット代わりのストール、空気式枕等と共に万全の準備で乗り込んでいました。
おかげで、出発後2秒で寝落ちしてぐっすりと睡眠を取ったのでした。

拍手[1回]